【ふじわら みちたか】1963年4月和歌山県出身・伊勢崎市今泉町在住。東京大学卒業後の1987年、自治省入職。熊本県、長野県、静岡県などへの出向を経て2013年、総務省自治行政局公務員福利課長、2014年北九州市副市長。2016年、地方公共団体情報システム機構個人番号センター長、2018年、内閣官房審議官。2019年、全国市町村国際文化研修所学長。2021年に退官後、三菱UFJトラスト投資工学研究所業務顧問。同顧問退任後の2020年4月、伊勢崎市副市長就任。
「地域文化や郷学が支えた」住みやすい伊勢崎の今
4月から2人副市長体制【2】 藤原通孝副市長(22年9月1日)
 伊勢崎市の副市長に4月、元総務省自治行政局公務員部福利課長で北九州市副市長も務めた藤原通孝氏が就任した。下城賢治副市長(昨年4月就任)との2人副市長体制は、2005年の市町村合併以来17年ぶり。昨年1月に就任した臂泰雄市長の肝いりの政策のひとつで、その思いを受けた両氏にインタビューした。第2回目は藤原副市長。

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 赴任してきたばかりでまだ地理もよくわからないまま、ふらりと訪れた三光町の相川考古館。丁寧な説明を受けた様々な展示物の中で、印象に残ったひとつが、国指定重要文化財の埴輪「盛装男子」だった。最近訪れた国立博物館に展示している、同じ古墳から出土した「盛装女子」を思い起こし「いつかどこかで、ご一緒になられるといいですね」と、この話題をロマンチックにまとめた。

 上植木本町の八角形倉庫で注目を集めた「上野国佐位郡正倉跡」(三軒屋遺跡)、近代産業の一角を担った伊勢崎銘仙などの織物産業にもふれ、「地域文化や(藩主が領内に設けた)寺子屋よりも高度な郷学が支えた」と指摘する。「当時は水戸藩ですら14校しかなかった。その中で伊勢崎藩内には25校もあった」と淀みなく数字を並べ、向学心に燃えた藩内の人々の存在を挙げた。

 伊勢崎市の第一印象は「住みやすく、農商工業のバランスがとれた街。それが市政全般にも現れている」。バランスの良さの中にもそれぞれに課題を抱えており、「ここに至る成熟安定期は、時にはある程度のリスクを取ってチャレンジも」と、その必要性を説く。「実際にそうした動きは出てきており、私の仕事は、それらを引っ張ったり、押したりサポートすること」と役割を明確にする。

 まだ全体像が見えず、目につくのは住宅解体跡などの空き地が散見するJR・東武伊勢崎駅南口に広がる駅前再開発・区画整理事業。他自治体にはない風景だが「施行過程の空き地は逆に可能性としてのチャンスと捉えたい」と前向きに語る。外国人の多い地域特性にもふれ、子供たちの家庭での母国語と学校・社会での熱心な日本語学習を評価。静岡県に教育次長として4年間赴任し、「人の一生に大きな影響を与える教育という仕事の奥深さを知った」と振り返る。

 学生時代から毎年、終戦記念日には東京の千鳥ヶ淵戦没者墓苑に参拝している。慰霊とともに胸に刻むのは「戦争を避けるために、自分には何ができるのか」。17年前から始めたブログにも認め、月1回のペースで、その他その時々の思いを綴っている。さまざまな赴任地では「歩くことで周囲が見えてくる」と県内でも前橋・桐生・高崎までを徒歩で散策(帰路は電車)。次は館林の片道33キロに挑む。(2022年9月1日 廣瀬昭夫)

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過去の伊勢崎市副市長インタビュー   吉田文雄氏   村井健三氏