W杯日本vsドイツ戦の1−1で迎えた後半、逆転に向けてゴールに走り込む浅野選手(インターネットテレビ「ABEMA」の試合ハイライトを撮影)

もはや状況はサッカー・ドイツ代表監督の想定外。そしてドイツ首相も
地元プロが翻訳 ニューヨークタイムズ社説7(2022年12月1日付け)

 米国の高級紙、ニューヨークタイムズ。その社説から、日本人にとって関心が深いと思われるテーマ、米国からみた緊張高まる国際情勢の捉え方など、わかりやすい翻訳でお届けしています(電子版掲載から本サイト掲載まで多少の時間経過あり)。伊勢崎市在住の翻訳家、星大吾さんの協力を得ました。
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フィリップ・ケスター(ゲストエッセイ ドイツのサッカージャーナリスト)

 ドイツサッカーチームの監督であるハンス・フリックは、WhatsAppグループ内で、「Get prepared(戦いに備えよ)」という活気のある名前で、ワールドカップに出場するドイツ代表選手26名に、激励のメッセージを伝えた。ランプの絵の下に、「カタールで私たちの光が輝くように!」と。

 だが、そうはならなかった。日本に対しては精彩を欠き、活気のないプレーで敗れ、スペインには後半の同点ゴールでなんとか引き分けに持ち込んだところだ。木曜日のコスタリカ戦には勝利が必要であり、さらにスペインが日本戦で敗北しないことが必要だ。80年ぶりにグループリーグで敗退した2018年の惨状と、それ以降の平凡な戦績の中でドイツのサッカーが求めていた盛り上がりとは到底言えない。

不振の原因はいろいろ考えられる。しかし、そのひとつは間違いなく監督のフリックである。長年ドイツ代表監督を務めたヨアヒム・レーヴのもとで、そしてドイツ最大のクラブであるバイエルン・ミュンヘンで、その監督としてのキャリアは長いが、万年補佐役の印象が強かった。しかし、この3年間で、フリックの状況は急速に変化した。バイエルンではボスとなり、クラブをチャンピオンズリーグ優勝に導き、かつてのボスであるレーヴに代わり代表チームの指揮を執るようになった。フリックはいまや代役から主役になったのだ。

 不思議なことに、ドイツの政界でも同じようなことが起こっている。オラフ・ショルツ首相である。数年前、彼もまた、上に上がることがないと思われていた。2019年の党首選で落選した彼は、アンゲラ・メルケル内閣に長く在籍した。リーダーではなく、信頼される官僚として、だが。しかし、昨年の選挙では、メルケル首相との関係、そして継続性が、彼を首相官邸に押し上げることにつながった。

今、この二人は、サッカー界としても、国としても、ドイツの強さと回復力が試される時代を生き抜こうと奮闘している。困難な状況の中で、二人とも自分の力を出し切っていないように見える。

 7歳違いのフリックとショルツの類似点は明らかだ。両者とも知的であるが、その知的才能が十分に評価されないと、たちまち不機嫌になる。また、人前でのコミュニケーションは苦手だが、誤解されると怒る。何よりも、二人とも揺るぎない実利主義者である。ビジョンやインスピレーション、ロマンといったものは、一切関係ない。フリック氏の記者会見は退屈で、これは首相も同様だ。

 問題は、過去10年間の居心地の良い、管理しやすい世界が、サッカー界にも政治界にも、もはや存在しないことだ。気候の大混乱、パンデミック、ウクライナ戦争が、ドイツ人を居心地のよい世界から引き離した。過去の成功体験に浸っていたドイツが、自己満足に陥っていることに、徐々に誰の目にも明らかになってきている。

政治では、ウクライナへの戦車輸送や、ロシアのガスに代わる原子力発電所の継続運転など、困難な決定を回避する形で、その自己満足が現れている。サッカーでは、2014年のワールドカップで優勝したドイツチームが事実上無敵だと思っていたことが、成功の基盤であったユースシステムを時代遅れにさせることにつながった。

 この国には新しいスタートが必要であり、そのためにはカリスマ的なリーダーが必要だ。それはサッカーでいえば、リバプールのユルゲン・クロップ監督、政治でいえば、ロベルト・ハーベック経済相のような雄弁な知識人であろう。しかし、フリックやショルツは、かつての上司のコピーである。ドイツは何も変えなくても、再び経済的に健全で、スポーツ的にも成功することができるのだ、という幻想を抱いている。

 ドイツでは、社会の大きな変化が代表チームのスタイルに表面化するという説が有力だ。1954年のワールドカップでのドイツの勝利、いわゆる「ベルンの奇跡」は、第二次世界大戦後の西ドイツ国家の象徴的な礎と考えられている。70年代のチームは、ギュンター・ネッツァーのような長髪の自由人たちが率い、学生反乱の自由な精神を吹きこんだ。そして80年代のドイツチームは、ヘルムート・コール政権下の保守復古にならい、ピッチ上で無心にボールを蹴った。

 政治とサッカーの間に共通点があるとすれば、このワールドカップは、ドイツがまもなく変化への恐れを克服し、新たな出発に踏み出すかどうかを明らかにするかもしれない。そのためには、近年のドイツサッカーを退屈なものにしているリスク回避の姿勢が、攻撃的で楽しもうという新しい欲求に変わり、代表監督もまた自己改革をしなければならないだろう。

 このような新しいスタイルは、低迷しているチームに活力を与えるだけでなく、ドイツのサッカー界にメッセージを送ることにもなる。それはまた、ドイツ社会に不安感の束縛から解放されるというメッセージを送ることにもなる。創造性と情熱、そして闘志を感じさせるプレーは、変化への憧れとそれがもたらす不安の間で揺れ動く、この国の中途半端な状態にもってこいの強壮剤となるであるだろう。あるいは、政治家も注目するかもしれない。

 しかし、まだそうなってはいない。チームは慎重で、流動性と目的を欠いている。しかし、すべてが失われたわけではない。スペイン戦の終盤には、チーム、特に若い選手たちがこの瞬間を掴もうとする兆しがあった。サッカーチームの情熱と精神が、この先の厳しい冬を乗り切ることを国中に示すかもしれない。

 ドイツを見限ることはまだ早い、何事も可能である。フリックの言葉もある。戦いに備えよ、と。

 星大吾(ほしだいご):1974年生まれ、伊勢崎市中央町在住。伊勢崎第二中、足利学園(現白鳳大学足利高校)、新潟大学農学部卒業。白鳳大学法科大学院終了。2019年、翻訳家として開業。専門は契約書・学術論文。2022年、伊勢崎市の外国語児童のための日本語教室「子ども日本語教室未来塾」代表。同年、英米児童文学研究者として論文「The Borrowersにおける空間と時間 人文主義地理学的解読」(英語圏児童文学研究第67号)発表。問い合わせは:h044195@gmail.comへ。
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