【写真】明治時代の「華蔵寺」景観図。丘など後背地は現在、華蔵寺公園(藤井住職が講話時に寺所蔵画として公開)

開山1150年の華蔵寺で住職講話/華蔵寺公園の内石碑巡り
ぐんま郷土を愛する会伊勢崎支部が企画・開催(2022年9月27日)

 国指定天然記念物の金木犀で知られる華蔵寺(伊勢崎市華蔵寺町6−1 藤井祐幹住職)の正式名称は「天台宗丘林山浄土院華蔵寺」。造立は西暦872年(貞観14年)で今年、開山1150年を迎えた。ぐんま郷土を愛する会伊勢崎支部(児島彰代表)が記念企画「華蔵寺の歴史」(藤井住職講話、7月16日)、「華蔵寺公園石碑めぐり」(9月17日)を相次いで開催した。

華蔵寺周辺航空写真
【写真】華蔵寺と周辺の航空写真。各種公園遊具設置前の野球場とジェットコースター設置前の溜池(藤井住職が講話時に寺所蔵の写真を公開)

 藤井住職は講話の冒頭、明治時代に描かれた寺の後背地に丘を抱く風景画(写真参照)を手に取り、「丘林山」の名称の由来を解説した。色鮮やかな景観図は、寺院内の清掃中に見つかった製版画の錆を落とし、パソコンでデータ化し着色したものという。開祖は東国巡錫に向かった比叡山第五世天台座主の智証大師円珍がこの草庵にとどまり、鎮護国家道場として造立したのが始まり。住職は以後の歴史を辿り、華蔵寺公園を計画中だった伊勢崎町(当時)に、国有林払い下げ後の土地を譲るまでを語った。


 ※伊勢崎市史によると華蔵寺周辺は、明治22年に開通した鉄道停車場の北1・5キロにあり、町の特産織物、蚕糸の販路の流通拠点として賑わい始めていた。一方、江戸時代に伊勢崎藩が整備した華蔵寺の2か所の溜池が明治26年、国から町に無償譲渡され、風光明媚な周辺地を含めた公園化計画が浮上した。そこで国有林払下げに華蔵寺と町が約定書を締結した後に国へ申請。ところが何度も却下された後、国は特売で華蔵寺に譲渡。町がこれを譲り受けた明治35年、公園計画がやっと動き出している。


華蔵寺風景画
【写真】華蔵寺公園の石碑の前で解説する児島代表(一段高い位置の右端)

華蔵寺公園はかつて伊勢崎の中心地的存在
郷土の偉人たちの石碑、句碑など各種記念碑が点在

 華蔵寺公園内に点在する、郷土の偉人や文化人などの石碑巡りは11カ所。伊勢崎青年会議所が1988年、創立25周年記念のまちづくりゼミナールで作成した「石に刻まれた伊勢崎の歴史」マップを活用した。医者・教育者の「設楽天僕」、南宋画家の「金井烏洲」、教育者の「板垣源次郎」、行政・実業家の「武孫平」、政治家の「天真細野次郎」、用水開拓者の「小畠武堯」らの碑を巡った。参加者21人は招魂碑、言霊碑(句碑)、ドイツ式石積構造の灯台前でも足を止め、解説を聞きながら交流を深めた。

 当時この地は、佐波郡内の中心的な存在だったこともあり、郷土の偉人たちの碑が建立された。金井烏洲碑は生誕地の境島村にもあるが、あくまでも副碑という存在で公園内が正碑となっている。一行は石碑巡り後に華蔵寺を再訪し、完成したばかりの大規模改修後の本堂内を見学した。群馬を愛する会伊勢崎支部は、郷土を知り学びあうことで、郷土を愛する心を育もうと2019年11月に発足。コロナ禍で今年から本格的に活動を再開している。入会問合せや今後の活動予定は児島代表(電話090−6181−5967)へ。(20022年9月27日)