【写真】上:伊勢崎市図書館で18年12月22日開催の郷土文化講座「是我―石川泰三伝―」下:伊勢崎市役所前に建つ石川泰三元伊勢崎町長の胸像

繁栄伊勢崎の基礎を築いた第4代伊勢崎町長
没後75年の命日に石川泰三を知る功績辿る講演会

 大正4年(1915年)から伊勢崎町長を18年間務め、進歩的な町政運営で、繁栄する現在の伊勢崎市の基礎を築いた石川泰三(1853−1943)の功績を辿る講演会が、没後75年命日の12月22日、伊勢崎市図書館で開かれた。泰三の調査を長年続けている三巻健一講師が解説した。

 泰三は江戸末期から明治維新を経た、目まぐるしい時代の変化の中で頭角を現した。町議員、吾妻など3郡長を経て62歳で第4代伊勢崎町長に就任。任期中にモダンな町役場庁舎、六間道路を中心とする交通網整備、伊女・伊商・佐波農高校、図書館を創設するなど都市基盤を整えた。

 当時画期的だったのは、町政策の周知と町民の意見に耳を傾けるための「町報」の発刊。町職員には「庁憲」を配布し、随時開催の「自治講話会」で町民と役場職員の行政課題の共有化を図った。自治講演では、冠婚葬祭や宴会など、日常の生活改善を説いている。

 三巻講師は郡長時代、両毛線開通時に鉄道省が「いせざき」とした読みを「いせさき」に改めさせたエピソードも紹介した。趣味で書画、陶磁器、仏壇・仏具、日本画を蒐集。伊勢崎市境島村出身で、江戸後期の画家、金井烏洲会会長も務めた。

 三巻氏の講演終了後、侍気質の厳格さを残した祖父について、養子に入った孫の石川昭三さんが「直接話した記憶がない」としながらも思い出を語った。来訪者には大好きだったカレー(子供は肉なし)をよく振る舞ったこと、贈呈高級菓子は口に出来なかったことにもふれた。

 子供心に感じたのは「味がわからない子供が食べたのでは贈呈者に失礼、と思っていたのでは」。一方で年配参加者の一人が、質疑応答の中で父から聞いた話として「駄賃やお菓子をもらった」と子供にも優しい一面があったことを紹介した。

 石川昭三さんは祖父泰三の志を引き継ぎ、伊勢崎市の発展にと美術品をはじめとして、残っている蔵や住宅も自身の死後に市への寄贈を表明。既にこうした意向を受けた市が、篤志による寄付金で子供たちの教育事業にあてる「石川泰三教育みらい基金」を2017年2月に設置している。

 質疑応答の中で「今後寄贈を受けることになる住宅や蔵を活用した記念館のような構想」について問う声があがった。講座に参加していた市担当者が「遺族の意向に沿って検討したい」と答えた。(2018年12月28日)