フィリピン国内で新たに軍事基地使用権を得た米国。同盟を結ぶ日本


フィリピンにとってあたかも呪いのようなアメリカとのダンス
地元プロが翻訳 ニューヨークタイムズ社説 9 (2023年2月7日付)


 米国の高級紙、ニューヨークタイムズ。その社説から、日本人にとって関心が深いと思われるテーマ、米国からみた緊張高まる国際情勢の捉え方など、わかりやすい翻訳でお届けしています(電子版掲載から本サイト掲載まで多少の時間経過あり)。伊勢崎市在住の翻訳家、星大吾さんの協力を得ました。

 伊勢崎市には7,766人(2020年時点)のフィリピン国籍の住民がおり、ブラジル、ベトナムに続き第3位の人口。地政学的に複雑な立場にあるフィリピンの歴史と現況についてフィリピン人作家ジーナ・アポストル(代表作「反乱者」藤井光訳・白水社)のゲストエッセイを取り上げました。
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 フェルディナンド・マルコス・シニア独裁政権下で育った私のようなフィリピン人にとって、米軍がフィリピンでの基地使用権を拡大するというニュースは、めまいがするほどの衝撃であった。

 先週、ロイド・オースティン国防長官がマニラで、かつての専制君主の息子であるフェルディナンド・マルコス・ジュニア大統領と握手する姿は、まるで悲劇の「グラウンドホッグデー(訳者註:アメリカで2月に行われる冬が長引くかどうかを占う行事)」であった。マルコス大統領は5月に当選した。フィリピンの民衆は、マルコス大統領だけでなく、東アジアの安全保障を口実にした米軍による新たな占領を目の当たりにしているのである。

 フィリピン上院は30年前、米軍の恒久的な駐留に終止符を打った。しかし、オースティン氏によれば、この地域で存在感を増す中国の影で、アメリカの基地使用権の拡大が不可欠になっている。

 中国に近いフィリピンは、長い間、米国にとって魅力的であった。しかし、フィリピン人にとっては、それはいわば呪いのようなものだ。

 米西戦争の後、1898年にアメリカが植民地であったスペインからこの島々を併合したことで、アメリカ製品にとっての本命、すなわち中国の巨大市場への足がかりとなった。1900年、インディアナ州選出の上院議員アルバート・ベヴァリッジは、「太平洋はわれわれの海である。われわれの余剰物資の消費者をどこに求めるか?地理学を考えれば自明の理だ。中国こそ我々の顧客となる」。彼の言葉を借りればフィリピンは、米国に「東洋のすべての玄関口にある基地」を与えたのだ。

 1899年から1902年にかけて、国の自由のためフィリピンの民衆は、アメリカ軍に対する絶望的な戦いに身を投じた。米比戦争では、20万人以上のフィリピン人が飢餓や病気で死亡し、この紛争は大量虐殺やアメリカ先住民に対するアメリカの抗争などにも例えられた。その後、アメリカの歴史家スタンリー・カーノウが表現したように、「我々のイメージ通りの」国家が誕生したのである。

 アメリカの欲望と地政学的戦略により、フィリピンには寡頭政治が定着した。それはアメリカの支配力を強化するためである。スペイン人が築いた封建主義の雛形を受け継ぎ、少数の有力な家系が米国の新植民地政策の中で繁栄し、冷戦期から中国の台頭する現代に至るまで土地、資源、権力を固め続けてきた。

 米比関係が続いていた頃の光景は、トラウマのように私たちの記憶に焼きついている。リチャード・ニクソンがピアノを弾きながらイメルダ・マルコスの拍手を受け、マルコスはジェラルド・フォードと、マルコス・シニアはナンシー・レーガンと仲良く踊っている。アメリカの指導者たちがマルコス・シニアとワルツを踊っている間、彼は1972年から1981年まで戒厳令を敷いた。この暴君は、冷戦時代に、共産主義者を標的とした米国の資金による治安維持活動を利用して、権力を強化したのである。1986年の民衆の蜂起によって彼とその家族がハワイに追放されるまで、彼は何千人もの人々を投獄し、拷問し、殺し、推定50億ドルから100億ドルを盗んだ。

 フィリピンにとってもう一つの悪夢は中国による侵奪だ。オースティン氏は米軍帰還の理由として、南シナ海の一部で中国が「非合法な主張」を進め続けていることを挙げた。これはフィリピン自らも主張することである。また、フィリピン最北端のイトバヤット島からわずか93マイルしか離れていない台湾に、中国が侵攻する可能性があるとの懸念もある。東南アジアの国々で対立軸に巻き込まれることを警戒しているのは、フィリピンだけではない。

 軍事施設の建設を含む中国の南シナ海への侵攻は、世界的に非難されている。2016年には国際法廷がフィリピンに有利な判決を下し、中国の海洋権益の主張を否定した。しかし、当時のフィリピン大統領ロドリゴ・ドゥテルテは、中国の投資を望み北京と癒着し、中国に配慮して法廷の判決を退けた(ドゥテルテは、「私は中国が必要だ」と言い、「私は単に習近平が好きなだけだ」とも言った)。しかし、フィリピンのオリガルヒの例に漏れず、彼もアメリカに踊らされ、ワシントンとは軍事協定を結んでいる。

 殺戮的な麻薬撲滅戦争で何千人もの超法規的殺人を行った、情け容赦ないドゥテルテ氏の退陣は歓迎すべきことである。しかし、彼の後継者も大差はない。マルコス・ジュニア氏は、偽情報を駆使した選挙戦の末に大統領になったが、縁故主義と腐敗という父親の負の遺産を捨ててはいなかった。28歳の息子のサンドロは政治家としては未熟だが、フィリピン下院の指導的立場にあり、いとこのマーティン・ロマルデス氏は下院の議長である。彼らは、マルコス新政権が社会保障制度から資金を引き出して政府系投資ファンドに投入する計画を促進するための法案の作成者の一人であり、国民の反感を買った。

 マルコス氏は自ら農務長官という有力な地位に就いた。彼の指導の下、基本的な食料品の価格は高騰し、最近ではタマネギの価格が一時肉を上回った。麻薬撲滅戦争による殺戮と不免罪の文化は続いている。先住民族活動家、ジャーナリスト、人権擁護者、その他共産主義者の烙印を押された人々がはなお危険にさらされている。マルコス氏はジャンケットが好きで、大勢の側近を引き連れてダボス会議に出席している。政府は、その費用について明らかにしていない。アメリカの軍資金という厄介なものを使って彼が何をするかは、想像に難くない。父親の時と同じように、アメリカの支援は国民の批判をそらすために使われるだろう。

 ドゥテルテ氏とマルコス氏は同じ穴のムジナである。彼らの家族や取り巻きは、フィリピンにおける米国の地政学的、軍事的利権から利益を得てきたし、今後もそうするだろう。

 これまでの問題だらけの歴史に対しバイデン大統領には米国の名誉を挽回するチャンスが与えられている。ペンシルバニアのスーザン・ワイルド下院議員は、「反体制派に対する暴力が止まり、加害者に対する説明責任が始まるまで」フィリピンへの安全保障援助を停止する「フィリピン人権法」に署名するよう同僚に呼び掛けた。ワイルド議員と超党派の議員団も、フィリピンの人権侵害者に対する制裁を要求している。

 それまでは、ワシントンとマニラの長いダンスは続き、フィリピン国民は幾たびも恐怖を味わうことになるだろう。
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 星大吾(ほしだいご):1974年生まれ、伊勢崎市中央町在住。伊勢崎第二中、足利学園(現白鳳大学足利高校)、新潟大学農学部卒業。白鳳大学法科大学院終了。2019年、翻訳家として開業。専門は契約書・学術論文。2022年、伊勢崎市の外国語児童のための日本語教室「子ども日本語教室未来塾」代表。同年、英米児童文学研究者として論文「The Borrowersにおける空間と時間 人文主義地理学的解読」(英語圏児童文学研究第67号)発表。問い合わせは:h044195@gmail.comへ。
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