伊勢崎の地域経済を支えているのは、農商工業のバランスの取れた産業構造といわれている。その中でも製造業と建設業のウエートが高く「この2本柱がしっかりしていれば」と基幹産業の重要性を説く。コロナで疲弊した飲食店と関連大型施設に憂慮し、さまざまな業界にもふれた。空き家、農地と開発、駅周辺整備など、地域の経済状況についても、金融マンとして培った的確な見方を語る。「企業を育て、地域を伸ばす」商工会議所として、国や地方行政との連携強化の必要性も改めて訴えた。
 
 「会議所対象事業所が5345社に対して入会は2125社。加入率は39・8%」。決して満足はしていない、現状の数字がすんなり口をついて出る。「43人は寂しい」と女性部会は対象を広げて加入を促す。全体として会員増強は「『一人ぐらいは何とか』と思えるように会員の意識を高めたい」。期待をかけているのは会員数238人で、県内最大規模を誇る青年部だ。「紹介者は委員会でも一緒に活動し、面倒みながら新会員の居場所をつくって欲しい」と注文する。
 
 長年の懸案となっている、老朽化した未耐震の会議所会館建て替え事業。市が取り組む、伊勢崎織物協同組合の所有地を活用した「中心街にぎわい創出拠点の検討委員会」などの動向も視野に「会員、行政や関係者など周囲の声に耳を傾け、地域の活性化にも貢献する事業に」と慎重に語る。現地建て替え案も選択肢のひとつだが、いずれにしても現会館は解体する方向。解体費の確認は急ぎたいという。

 金融業界は取引のオンライン化、デジタルサービス移行が進んでいるが、あかぎ信組の大手行にない強みとして「地元から離れない」地域密着、対面営業を強調する。経営者の高齢化・後継者難の「事業継続」に、大手と提携してM&A(企業買収・合併)を模索、提案している。組合員組織の異業種交流会「あかぎクラブ」内の若手組織「健山会」(会員680人)は創設時から関わり、会議所青年部と同様に大きな期待をかけている。

 農家の長男で農業高校に進学したが、地域は区画整理事業などで農業政策の転換時期に重なった。健康管理も兼ねて休日は、560平方mの畑で時にはトラクターも駆り、数種類の野菜作りを楽しんでいる。中学・高校時代は野球部に所属。硬式から軟式に戻った社会人で肩を痛めてグランドから足が遠ざかった。中・高時代の投打の定位置の質問に「ピッチャーで4番」に続けて、さりげなく「キャプテン」を付け加えた。(廣瀬昭夫 2023年1月27日)
会員増強は青年部に期待 行政とも連携強化
伊勢崎商工会議所会頭 小林正弘さん
 アイオーしんきん伊勢崎アリーナ(市民体育館)2階のブース展示によるビジネスマッチング。南側のグランドではグルメとステージイベントを同時開催の「ワクワクフェス」を11月19日に開いた。講演ゲストは、その3日後に”31歳差婚”を発表して話題になった極楽とんぼの山本圭一さん(相手は元AKB48の西野末姫さん)。初の大型イベントは目標を上回る1万1500人を集めた。

 青年部恒例事業の「観光大使ミスひまわり」。応募資格が性別、国籍にとらわれない「観光特使ひまわり」への大転換は、内外で注目を集めた。副会長時代に提案し、仲間と準備を進め、会長を任される今年度スタート実施に焦点を合わせてきた。多様性の時代に加えて人口減少の中、応募者の減少も背景にある。「ひまわりの事業継続を考えた。ビジネスの考え方と同じ」と当然の取り組みと捉える。

 2025年度に日本商工会議所青年部全国大会が伊勢崎で開かれる。ここ数年の歴代会長は対外交渉など準備に追われた。今年の10月には、その同青年部役員全国大会が伊勢崎で開かれ、500人が参集した。「恒例事業は出来て当たり前」と、こうした節目や新たな事業実施に会長として携われたことを素直に喜んだ。変化や改革の時にこそ、自分ならやり遂げることを確信し、果敢に挑んできた。

 今年度のスローガンは「〜目的に向かってひたすら前進〜『勇往邁進』」を掲げた。とはいえ青年部活動は「事業そのものが目的ではない。事業で社会や地域に貢献すると同時に、会員一人々々の成長にある」。バトンリレーで繋いだ各世代の会長らの手弁当による「使命感と誇り」が底辺にあることも強調。「この頑張りを周囲や市民の皆さんに、もう少し知って欲しい」という思いも訴える。

 「塗って、塗って、塗りまくった」と豪語する、塗装職人時代。塗料は国内唯一の対候性試験機関、日本ウエザリングテストセンターの沖縄県宮古島の暴露試験場でテスト。塗装会社として技術と商品には絶対の自信を持っている。さらなる差別化が社員の人間力。「だから圧倒的に選ばれている」と胸を張る。何のために働くのかに答える経営理念に「幸せの追求」、グランドデザインに青年部スローガンと同じ「勇往邁進」を掲げている。

 会社は伊勢崎市内の本店の他、リフォームスタジオ、埼玉県熊谷市と上尾市内の4店舗体制で年商7億円の規模。10年前に下請けから一般住宅などの直接受注への「ビジネスモデルの転換」が飛躍の始まり。母子家庭で育ったハングリー精神も根底にある。様々な指導者の塾生などとして「35歳から40歳までは猛烈に勉強した」。このためゴルフやスノボ、バイクなど本格的な遊びはここ数年のこと。幸せを追求してもらう「社員の手前もある」と苦笑いする。(2022年11月29日 廣瀬昭夫)

第33代田沼健太郎会長  第32代畑裕樹会長  第31代菊池潤一会長
変化や改革の時代の会長職を歓迎 果敢に挑む
伊勢崎商工会議所青年部 第34代会長 佐藤和幸さん
 「明るい豊かな社会の実現」を目指して様々な活動に取り組む青年経済団体、公益社団法人日本青年会議所(JC、中島土会頭)。来年1年間の次期会頭就任で最近、麻生太郎自民党副総裁長男、麻生商事の麻生将豊社長(福岡県飯塚市の飯塚青年会議所顧問/前理事長)が注目を集めた。といっても単会JCの普段の取り組みは、地域の地道な社会活動が中心だ。
    
 伊勢崎JCの今年度対外事業活動は、3月開催の外国籍住民との共生意識を高める協働ランタンづくり(ランタンリバー 華蔵寺公園)、6月の親子の絆を深める謎解き宝探しゲーム(華蔵寺公園)、7月の尾瀬子供キャンプファイヤーなどを実施した。コロナ禍だったが、十分な感染対策を施して現地開催にこだわった。市民参加によるチーム対抗の 3on3バスケ(10月15日、第2市民体育館)とフットサル(同月16日 市陸上競技場)は今年度を締めくくる最後の事業となる。

 3年ぶりのいせさきまつりは初参加の新入会員もおり、知っているはずの現役メンバーも含め、設営準備は少しとまどったという。2年間はコロナ禍で本格的な活動が制限されていたため「この間に入会したメンバーには本格的な活動の第一歩にも」と安堵する。12人(10月3日現在)の新入会員のほとんどは20代。2世経営者が少なくない組織の中で、その半数以上が起業・ベンチャー型と、会員の若返りと多様化が進む。

 来年度に創立60周年を迎える。8月例会では40周年時の先輩を招き、歴史や記念ミュージカルなどの事業などについて学び、来年に備えた。毎年卒業生を送り出す連綿と続く歴史を振り返り「コロナ禍にあってもJCだからこそできる取り組みを」模索し、JC活動に全精力を傾けてきた。だから卒業後は「会社100パーセントに切り替える」と決めている。

 その事業は創業が1923年(大正12年)の印刷業では市内大手老舗。とはいえ取り巻く環境は激変しており、広告代理業や印刷後加工分野に軸足を移す"脱印刷"に大きく舵を切りつつある。この間、コロナ禍で受注が激減するなかで「JC仲間や先輩シニアから多くの声をかけてもらった」と感謝する。事業転換は「JCに在籍していればこそ」と、組織で学んだ上での大きな決断を振り返る。

 「オンオフはきっちり分けている」ので、ゴルフや思い立ってふらっと出かけるドライブなどで気分転換を図っている。高校、大学時代はサイドスローの投手だった。大学3年時、6連敗で入れ替え戦が視野に入る首都リーグの筑波大戦。投手としてはチーム2番手だったが、先発起用でマウンドに立ち完投した。それが思い出に残る数少ない勝利のひとつ。両親が神奈川県の平塚球場まで群馬から応援に駆けつけてくれた。ウイニングボールは感謝を込めて母に手渡した。(2022年10月13日)
「コロナ禍にあってもJCだからこそできる取り組みを」
伊勢崎青年会議所 第59代理事長 設楽浩司さん(2022年10月13日)
 伊勢崎市の副市長に4月、元総務省自治行政局公務員部福利課長で北九州市副市長も務めた藤原通孝氏が就任した。下城賢治副市長(昨年4月就任)との2人副市長体制は、2005年の市町村合併以来17年ぶり。昨年1月に就任した臂泰雄市長の肝いりの政策のひとつで、その思いを受けた両氏にインタビューした。第2回目は藤原副市長。

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 赴任してきたばかりでまだ地理もよくわからないまま、ふらりと訪れた三光町の相川考古館。丁寧な説明を受けた様々な展示物の中で、印象に残ったひとつが、国指定重要文化財の埴輪「盛装男子」だった。最近訪れた国立博物館に展示している、同じ古墳から出土した「盛装女子」を思い起こし「いつかどこかで、ご一緒になられるといいですね」と、この話題をロマンチックにまとめた。

 上植木本町の八角形倉庫で注目を集めた「上野国佐位郡正倉跡」(三軒屋遺跡)、近代産業の一角を担った伊勢崎銘仙などの織物産業にもふれ、「地域文化や(藩主が領内に設けた)寺子屋よりも高度な郷学が支えた」と指摘する。「当時は水戸藩ですら14校しかなかった。その中で伊勢崎藩内には25校もあった」と淀みなく数字を並べ、向学心に燃えた藩内の人々の存在を挙げた。

 伊勢崎市の第一印象は「住みやすく、農商工業のバランスがとれた街。それが市政全般にも現れている」。バランスの良さの中にもそれぞれに課題を抱えており、「ここに至る成熟安定期は、時にはある程度のリスクを取ってチャレンジも」と、その必要性を説く。「実際にそうした動きは出てきており、私の仕事は、それらを引っ張ったり、押したりサポートすること」と役割を明確にする。

 まだ全体像が見えず、目につくのは住宅解体跡などの空き地が散見するJR・東武伊勢崎駅南口に広がる駅前再開発・区画整理事業。他自治体にはない風景だが「施行過程の空き地は逆に可能性としてのチャンスと捉えたい」と前向きに語る。外国人の多い地域特性にもふれ、子供たちの家庭での母国語と学校・社会での熱心な日本語学習を評価。静岡県に教育次長として4年間赴任し、「人の一生に大きな影響を与える教育という仕事の奥深さを知った」と振り返る。

 学生時代から毎年、終戦記念日には東京の千鳥ヶ淵戦没者墓苑に参拝している。慰霊とともに胸に刻むのは「戦争を避けるために、自分には何ができるのか」。17年前から始めたブログにも認め、月1回のペースで、その他その時々の思いを綴っている。さまざまな赴任地では「歩くことで周囲が見えてくる」と県内でも前橋・桐生・高崎までを徒歩で散策(帰路は電車)。次は館林の片道33キロに挑む。(2022年9月1日 廣瀬昭夫)

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過去の伊勢崎市副市長インタビュー   吉田文雄氏   村井健三氏
「地域文化や郷学が支えた」住みやすい伊勢崎の今
4月から2人副市長体制【2】 藤原通孝副市長(22年9月1日)
 伊勢崎市の副市長に4月、元総務省自治行政局公務員部福利課長で、北九州市副市長も務めた藤原通孝氏が就任した。昨年4月に就任した生え抜きの下城賢治氏との2人副市長体制は、2005年の市町村合併以来17年ぶり。昨年1月に就任した臂泰雄市長の肝いりの政策のひとつで、その思いを受けた両氏にインタビューした。1回目は下城副市長。

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 「どこかに適地はないかと、市内への企業進出の引き合いが多い」と顔をほころばせる。悩ましいのは今すぐ提供できる土地がないことだ。群馬県企業局で境北部工業団地と南部工業団地周辺などで造成に向けた作業を進めており、市としては周辺環境整備など「今できること」に力を注いでいる。並行して取り組んでいるのが立地既存企業の底上げサポート。

 副市長として産業経済の他、総務、市民、環境、健康推進、農政、建設、都市計画など、日々の施策に関わる部を所管している。地域の活性化や賑わいの復活も大きな課題だが、コロナ禍がもたらした空白の2年間が「とにかくきつかった」とうなだれる。花火大会や各種のお祭りなど「新しく始めるようなもの。お囃子の指導者も見つからない」などダメージも深刻で、新たな賑わいの創出には、さまざまな協議会の設置で打開を図る。

 「そういうことだったのか、国の考え方や方向性は」。高い見識と情報の引きだしの多さに驚かされ、刺激を受けたのは藤原通孝副市長の日々の市政への取り組み。それぞれに担当所管はあるが、垣根を超えた「情報の共有化」の重要性を痛感し、臂市長が掲げる「Transforming Our World」(私たちの世界を変革する)に向けてタッグを組む。一人副市長の重圧から解放されたことに対しては「頼り切ってはいけない」と自戒する。

 行政側にとっては、まさかの中止に追い込まれた、波志江沼への新観覧車建設問題。その最中は秘書課係長としてマスコミ対応に忙殺された。市政が大きく揺れた過去にふれた時は複雑な表情をみせた。胸を張ったのはコロナ対策。12歳未満は当時、対象外でワクチン接種できなかったため、PCR検査キットを幼稚園、保育園、小学校などに配った。接種現場には職員も派遣している。

 40年ほど前に市職員のバレーボールチームで全国大会に出場した。高じて子供のミニバレーチームでは、指導者として多くの時間を割いた。最近とりわけ気になっているのが”激太り”。コロナ禍で家飲みも増え"休肝日"を求められている。対策のひとつが家庭用自転車マシンの導入。総務部長時代に片道2キロの自転車通勤実績もあり「30分程度、ほぼ毎日こぐようにしている」と、その効果に期待をかける。(2022年8月24日 廣瀬昭夫)

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過去の伊勢崎市副市長インタビュー   吉田文雄氏   村井健三氏
「国の考え方知る」藤原副市長を迎え多くの刺激に
4月から2人副市長体制【1】下城賢治副市長(22年8月24日)
 同人誌「伊勢崎文学」(年1回発行)では表紙絵も任されている。最新号のタイトル「踊り明かそう」(2022年第42号)では、月下で華麗にワルツを踊る女性たちをシャガールの抽象画風に描いている。数年前までは木造のJR伊勢崎駅舎、レンガ塀、銭湯など、伊勢崎市内の消えゆく建物が続いた。気さくさと絵心を見込まれ、同人誌に係わるようになったのは、2001年の第21号から。ほどなく会員として随想などの投稿も始まり、次第に「のめり込んでいった」と控えめに語る。

 最新号の小説「加代さんとゆきさん」は戦前が舞台。師走を控えた気もそぞろなある日。久しぶりの顔見せに姉を訪ねた妹。交わす、こてこての上州弁(118項目の標準語言い換え注釈付)で、当時の暮らしぶりや世相をほのぼのと活写した。前号の「バックホーム」は終戦直後の甲子園出場をかけた高校野球が舞台。逆転負けを喫した捕手の痛恨の落球を、還暦を迎えた主人公がほろ苦く思い起こす。スリリングな試合描写には、思わず惹き込まれる。

 「文学は素人で他に適任者はいたが、最年長ということでお鉢が回ってきた」同代表。投稿作品の批評会では先輩、後輩関係なく「喧嘩するくらい」の激論を交わすこともしばしば。当初は飲み会も兼ねての批評会だったので、時には荒れることも。代表となって提案したのは、批評会と飲み会(食事会)の分離開催だ。行政組織で培った「互いに尊重しあい、和をもって」の信条をここでも活かしている。

 まだ終戦の混乱が続く1951年に伊勢崎市役所に入った。研修と称して、いきなり滞納者の差し押さえの赤紙張りに駆り出された。高校卒業の同期とは、数か月遅れの臨時採用からのスタートだった。その後はバランスのとれた行政手腕で主要ポストを歴任。高校の美術部以後も絵画研究会などに所属し、絵筆を握り続けてきたことで重宝がられた。市主催のイベントポスター制作など、律儀に勤務時間外で対応した。

 「本にまとめたら」と奨められ、自身も気にいっている初期の連作随想「伊勢崎は遠くになりにけり」。失われてしまった郷土の街並みや人情、だるま市などの風物に郷愁を込めた。連作の続きともいえるのが、拳銃発砲事件から紐といた前号の「伊勢崎の本町通り」、最新号で自宅もその対象になっている「長すぎた駅前区画整理」。行政に忖度しない、元行政マンの地元に注ぐ視線は、人一倍、郷土愛にあふれている。(2022年5月30日)

同人誌「伊勢崎文学」代表 中澤響二さん
郷土愛にあふれた連作随想「伊勢崎は遠くなりにけり」
同人誌「伊勢崎文学」代表 森村俊之助さん(2022年5月30日)
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