「被災した高齢者の心の復興と生きがい・地域コミュニティーに関する研究」−東日本大震災の教訓として気仙沼市を中心に−。東日本大震災の被災者でもある、伊勢崎市在住の太田初子(76歳)さんが、東京福祉大学大学院生として取り組んでいる修士論文のテーマだ。東京・池袋キャンパスへは往復通学時間を含めた早朝から深夜までの生活で、体調を崩して一年間は休学を余儀なくされた。履修科目を終えて4月から、論文主査の研究室がある伊勢崎キャンパスで指導を仰ぐ。

 気仙沼市内の中学卒業を控えたある日、小銭を並べた前で「ごめんね」と涙を浮かべた母の姿が忘れられない。卒業後は群馬県大泉町の東京三洋電機(現パナソニック)に就職。20歳で結婚退職し、伊勢崎市内で夫と義母らと個人商店を切り盛りした。1990年に交通事故で長女を亡くし、翌年自らも事故に遭う。手足のしびれや視力低下などの後遺症で、以後歩行器は手放せない。2007年に夫をガンで失うと、ひとり暮らしの父の介護のため気仙沼に居を移した。

 父も看取った後は「これからでも学びたい」という思いをかなえ、気仙沼高校の定時制に通っていた。支えになったのは「賢い人は挫けない」と言った母の教えだ。2011年の3月11日。地震発生後の津波に備え、不自由な身体で一人、マイカーに歩行器を乗せ、避難所に向かおうとした。その最中、大津波に飲み込まれた。「このままでは死にきれない」の思いで耐え、重油の海を漂って1時間半、投げ込まれたロープにすがりついた。

 過酷な避難所生活、仮設住宅暮らしを経て翌年、長男が住む伊勢崎に戻った。決意新たに大学入学を果たすと、孫と同年代の学生らと被災地支援のボランティアサークルを立ち上げる。年に2〜3回、気仙沼に通った。目の当たりにしたのは不自由な生活を送る被災者の苦難。何よりも必要なのは「心の復興」で、とりわけ障害者や高齢者をサポートする地域の仕組みの必要性を痛感した。修士論文のテーマが絞り込まれていった。

 自宅に長男が連れてくる2歳のひ孫。「男の子だけど肌が白くて、女の子のようにかわいいの」と目を細める。夫の死後は気仙沼暮らしで、伊勢崎に戻ってからは、仏壇とベッドの生活空間は店舗の一角で足りている。商売の傍ら絵筆を執り、第一美術協会員だった夫のアトリエに残る人物画や仏画。「キャンバスは100号規模が多い」こともあり、自宅の本格的な片付けはこれからだ。「もちろん、もちろん」と言い切り、常に前を向く言葉に交じって「これからは終活も」が口からこぼれた。
東日本大震災被災者に「心の復興」を
76歳の大学院生 太田初子さん(21年3月8日)

 未曽有のコロナ禍で、あらゆる経済・社会活動が制限されて早1年。青年部として関わってきた夏祭り、いせさきもんじゃイベント、ミスひまわりコンテストの3大事業は中止を余儀なくされた。一方、委員会活動や前橋市内の若手経営者を招いた講師例会などは、オンラインで滞りなく開催。リアルな会員交流では、新型コロナウィルス抗体検査キットで参加者全員検査の上、2面のグランド使用で密を避けた、キックボール大会を試みた。

 昨年4月就任早々に取り組んだのが、市内飲食店のテイクアウト・デリバリー情報の発信だ。青年部卒業生らを中心に運営されている、地域ポータルサイト「imap」に相談、協力を要請し、同サイトから店名、ジャンル、連絡先がわかる一覧ページを素早く情報発信した。青年部で新たなSNSツール立ち上げも考えたが、浸透には時間がかかると判断し即座に動いた。

 昨年2月の一斉休校を機に、自身で最悪のシナリオも想定した仮説計画を立てて準備した。練習も踏まえてリモート会議を先行実施。副会長や各委員長予定者には、各事業の意義や目的のおさらいと今後のビジョンを事前検討してもらうことで、スムーズな4月スターを切った。会員間のSNSツールでコロナ関連の各種助成事業を情報発信する一方、会員の悩みなどを聴くアンケート調査も実施してきた。

 「計画を立て、まず一歩を踏み出す」「どんな状況でも、その中で何が出来るのかを考える」。それらに「臨機応変に対応する」のが信条だ。青年部入会は、親族経営の組織の「外の世界を知り、勉強したい」と自ら門を叩いた。尊敬する先輩で島田工業(伊勢崎市長沼町)の島田渉社長から、刺激的な青年部活動について聞いていたことも大きいという。

 人材派遣業で製造の一端を担うなか、芽生えたモノづくりへの憧憬。部品生産にとどまらない完成品を模索した時、全工程に関わる農業こそが究極のモノづくりに映った。ハウス栽培による通年生産と継続雇用が可能なミニトマトを選んだ。温度・湿度管理を始め、給水、通風を作業所内に設けた制御機器で一括管理している。

 取り入れているのはハウス内のCO2濃度なども環境制御を徹底するオランダ式農業だ。一週間に一度は高さ、茎サイズ、花数などをサンプリング計測。データを蓄積し、空いた時間も「ミニトマトの過ごしやすい環境を考える」。品質、納期厳守の安全安心をベースに、販売先から“是非・・・”と求められる、極上のミニトマト探求に日々余念がない。
(2021年2月14日)
「計画を立て、まず一歩踏み出し、臨機応変に」
伊勢崎商工会議所青年部 第32代会長 畑裕樹さん

 任期満了に伴う伊勢崎市長選(来年1月10日告示、17日投開票)は、12年ぶりの選挙戦が展開される。五十嵐清隆現市長が支援を表明し、政策継続をベースに改革も訴える元自民党県議の臂泰雄氏(67歳 豊城町)、市政の刷新を掲げる36歳の4児ママで市議の栗原真耶氏(境上武士)、政治は未経験ながら「教育と政治は同じ」の理念の基に出馬する異色の学習塾経営者、蓬沢博亮氏(38歳 太田町)。これまで市政に無関心な市民にも、興味を喚起させる政策論争が期待される。政策を中心に3立候補者に聞いた。
第3回目は臂泰雄氏。

― 五十嵐市長が市長続投表明後、体調不良による出馬見合わせ、この間に新人立候補と、あわただしい動きをみせました。立候補に至るまでの心境は。

 県議としてこれからも五十嵐市政を支えようと考えていた最中の出馬辞退。市議・県議としての活動を通して市政の課題も把握し、今後に必要なことも分かっており、これまでのように県政のパイプ役として新市長を支えていくことも考えたが、自分がやってきたことを継続しながら、やり残したこと、もっとやれたことも振り返った。周囲の支援と協力の中、この大きな時代の波のなかで自分がやらなければ、の思いが決断を促した。

― 12年間の五十嵐市政をどのように評価しますか。その上での取り組み方針は。

 財政運営は手堅く、個別事業なども含めて基本的にやるべきことは、きちっと行ってきたと思う。一方、市民への発信力、市民活動への支援、市町村合併後の新市建設計画に基づく進捗などは市民の評価が分かれている。全国平均より高い市GDPと生産年齢人口に対して所得が低い、少ないという課題も見えている。政治信条の「共に生きる」という共生社会の実現に向けて行政の継続性を維持しつつ、課題を正面から捉えて事業を推進するために組織の見直しなどを検討している。

― 行政運営で具体的に検討しているのは。

 結論まで関わる「総合窓口」や市民の「声を聴く場」設置を考えている。支所のあり方を見直し、行政区の適正規模再編、副市長に国の人材登用、課題解決のためには外部人材も活用したい。補助金・助成金を見直し、施設・事業のスクラップ&ビルド化も行う。その他、農政部の新設など部局の一部再編を検討している。

― 産業、教育、まちづくり、インフラ整備も各種強化、充実策を打ち出していますが。

 誘致企業と市内企業、様々な業種間のマッチングによる連携の強化、工業団地内には集客施設を新設、観光物産部門で専門性を持つ職員の育成、配置を図りたい。学校では生きる力を学べる環境整備、実効性のある子供の貧困対策に取り組む。図書館の施設整備に合わせ、文化財や美術品などの展示施設、公共的複合施設整備、中心市街地活性化にまちづくり会社設置、JR伊勢崎駅から華蔵寺公園までの施設整備も検討したい。

― 環境カウンセラーとして環境問題への造詣が深く、政策も一歩踏み込んでいますね。

 国際社会共通の目標SDGs(持続可能な開発目標)を支援し、環境の街 日本一を目指していく。環境の街つくり条例、水環境・雨水利用条例の制定、温暖化防止係・水と緑の係設置、他にさまざまな環境整備推進や活動を支援したい。ごみ減量化を目指した処理方式の見直しと個別収集も考えている。市民の意識改革も求めていきたい。

― コロナ禍の市長選挙となりました。

 人が集まる集会などはできるだけ自粛することになる。有権者に知ってもらい、取り組みなどを伝える手段としてフェイスブック(FB)を11月に開設した。ブログもしばらく休んでいたものを今は一日置きのペースで更新している。2,3分だが、数パターンのプロモーションビデオを製作した。多くの若い人たちにも思いを伝えていきたい。

【取材メモ】先進的取組みの他自治体首長、東北復興と地方創生の課題に取り組むNPO法人代表などの特別寄稿も掲載した、政策提言選挙用リーフレット。積極的に情報を集め、多くの人の意見に耳を傾ける、氏の政治姿勢を物語る印刷物だが「分かりにくい」といった支援者の声にも触れ、思いを伝えることの難しさを反省する。
市民と行政が一体的に取り組む奈良県生駒市の小柴雅史市長が著した「『自治体3.0』」のまちづくり」。最近の印象に残った1冊として「市職員にも読んで欲しい」と感動を語った。(2020年12月23日)

              【1】【2】【3】
SDGsを支援し「環境の街 日本一を目指す」臂候補
2021年伊勢崎市長選 3立候補者に聞く【3】

 任期満了に伴う伊勢崎市長選(来年1月10日告示、17日投開票)は、12年ぶりの選挙戦が展開される。五十嵐清隆現市長が支援を表明し、政策継続をベースに改革も訴える元自民党県議の臂泰雄氏(67歳 豊城町)、市政の刷新を掲げる36歳の4児母親で市議の栗原真耶氏(境上武士)、政治は未経験ながら「教育と政治は同じ」の理念の基に出馬する異色の学習塾経営者、蓬沢博亮氏(38歳 太田町)。これまで市政に無関心な市民にも、興味を喚起させる政策論争が期待される。政策を中心に3立候補者に聞いた。
第2回目は栗原真耶氏。

 ― 市議会議員立候補以前から政治には関心を持っていたのですか。

栗原 政治家に良いイメージがなく、当時は興味も関心も全くなかった。結婚して夫の住む伊勢崎に来た時、友達が欲しくてママ友を募り、さまざまなイベントを開いたりしていた。最終目標のグリーンドーム開催で、達成感のあとの空虚な思いにかられている時に、市議補選の話が出た。みんなで地域を造っていくのが議員の仕事と聞き「何かすごく楽しそう」が始まり。専門用語を覚え、家計と桁違いの予算額などに慣れるまで必死だった。

 ― 市政の現状と市長選に立候補するという決断までの経緯は。

栗原 子育てや高齢者の困っている実態がわかってくるにつけ、一議員ではどうにもならないもどかしさを感じていた。今年に入ってのコロナ渦で、その対応力とスピード感の欠如、情報発信不足など、市民の不安の声を聞く機会が増えた。「トップに立たないと今の体制は変えられない」という思いが、春ごろからふつふつと湧いていた。問題点のひとつは、市政に対する市民の無関心だと思う。どんなに素晴らしいビジョンを掲げても振り向いてもらえない。何より市政に興味、関心を持ってもらうことが必要だ。

― 市政への関心を高めてもらうためにどのような取り組みを。

栗原 Lineアプリなどのコミュニケーションツールで、市や市長を身近に感じてもらえるようにする。21万市民に向けて力を注ぎたいのは、各行政区、各団体、各世代別との対話集会開催だ。私自身が皆さんの集まりに、積極的に足を運ぶつもり。そのためには常に分かりやすい情報発信が必要で、広報体制ひとつとっても見直したい。逆に市民の小さな困ったが届くような環境と、速やかに対応できる役所づくりが急務と感じている。

―4児の母親として、子育て政策には当事者の声が反映されそうですね。

栗原 ゆとりある子育てのために、子育て世代包括支援センターには、メンタルもサポートするカウンセラーの配置など機能の充実と、子育て世代に加えて周囲や前後の世代でも支えあう「子育てシェアシステム」構築を考えている。旧福島病院跡地に計画している新保健センターは複合化したい。新会議所会館を計画している伊勢崎商工会議所と連携し、中心街の活性化を促していくためのひとつの案として、複合化も提案してみたい。

― 先の見えないコロナ禍ですが。

栗原 今最も大切なことは市民の皆さんの不安を少しでも解消すること。私なら自ら積極的な記者会見、情報発信に努めたい。休校・休園時の対策、市役所予防・対応マニュアル作成、市民や企業への各種支援強化を打ち出したい。財政難の中で無駄を省き、「稼ぐ伊勢崎市」にするため、1期4年ごとの2000万円の市長退職金を廃止し、それをさまざま支援に役立てたい。トップセールスで企業誘致や観光客増加を図りたい。

― どんな市長像を描いていますか。

栗原 市民のための市長になりたい。市長は特定の組織や一部の人たちで、調整してつくられるものではない。自分のいろいろな考えに対して「きれいごと」と一笑に付されたこともあるが、そのきれいごとを実現するのが政治だ。おかしいと思うことは、大きな声で「おかしい」と発言し続けたい。私がやらずに誰がやる、今やらずにいつやる!そんな思いで立候補した。

【取材メモ】実家は飲食店経営。店を手伝う中、接客で天性のコミュニケーション力が磨かれた。同世代だけでなく、初対面のどんな世代にも懐深く飛び込める人懐こさが強み。
 伊勢崎に遊びに来ていた時、その人懐こさで一学年下のイケメン夫(当時)を“逆ナン”。「子供の迎えを引き受けてくれる」夫、隣家の夫の両親やママ友などにも支えられて子育て、議員活動を続けてきた。多忙な現在、ささやかな楽しみは夫が好きで一緒に出かけるラーメン店巡り。(2020年12月18日 廣瀬昭夫)

               【1】【2】【3】
「無関心な市民にも振り向いてもらえる市政を」栗原候補
2021年の伊勢崎市長選 3立候補者に聞く【2】

 任期満了に伴う伊勢崎市長選(来年1月10日告示、17日投開票)は、12年ぶりの選挙戦が展開される。五十嵐清隆現市長が支援を表明し、政策継続をベースに改革も訴える元自民党県議の臂泰雄氏(67歳 豊城町)、市政の刷新を掲げる36歳の4児ママで市議の栗原真耶氏(境上武士)、政治は未経験ながら「教育と政治は同じ」の理念の基に出馬する異色の学習塾経営者、蓬沢博亮氏(38歳 太田町)。これまで市政に無関心な市民にも、興味を喚起させる政策論争が期待される。政策を中心に3立候補者に聞いた。
第1回目は蓬沢博亮氏。

― 市長選立候補に至る理由と経緯を。

蓬沢 最終的に出馬を決めたのは11月上旬。これまでの市長選の投票率の低さや2回続けて無投票できたことを市民が不満に感じないこと。政治に変化を期待した。失敗を許容し、何回でもチャレンジできる社会を、教育者として政策で実現できる、と考えたことが大きい。再チャレンジには失敗から学んだ改善が前提だ。大まかな方向性は示すが、市職員や市議にはプロとして任せることは任せ、失敗したら私が責任を取る。そんな新しいリーダー像を示したい。

― 教育の理念を政治に活かすということですか。

蓬沢 教育というのは何かあったときに時に備えるもので、何かあった時では遅い。政治も同じだと思う。実は2年前の立憲民主党の公募に応募し、「教育者と政治家の仕事は同じ」と提言した。両者の大多数が目指しているのは「支援側にとって」のより良い未来。そこに差別の温存、人権軽視、恣意的なルールの運用が見られる。弱い立場で声を出せない人々の声を聴き、他者に不利に働く既得権益を無くし、公平・公正な社会を創造したい。

― その理念実現のための具体的施策は。

蓬沢 学校の部活を全世代が集える交流の場とする“全世代部活”の実現を目指したい。例えば専門性を持たない教員が部活顧問するのではなく、卒業生など先輩世代が担い、スポーツ・文化活動の地域総合開催で、上下世代との交流も深めてもらう。生徒数が地域で偏重している学校を統廃合し、廃校校舎を全世代の交流・学びの場にも活用したい。夜間中学もひとつの選択肢だ。地元企業の応援も募って運営する、江戸時代の“藩校”的なイメージだ。

― 再チャレンジを許容し、誰もが生きやすい人間関係のあり方にも触れています。

蓬沢 性別や年齢、婚姻関係などにとらわれない新たなパートナーシップ制度の創設を考えている。一方、一人で生きることに負い目を感じさせるのではなく、孤独も尊重し「“ボッチ”もよし」のムードも醸成したい。

― 観光分野でもさまざまな施策を提言してますね。

蓬沢 三尺玉も打ち上げられる利根川河川敷を利用した境の花火大会の復活、世界遺産登録の田島弥平旧宅なども含めた周辺地域の“養蚕テーマパーク化”、QRコードを張り付けた多言語看板設置、清掃リサイクルセンター21の敷地に温泉プール設置や他運動施設を整備する“スポーツテーマ化”、市内各所の公共施設内の無料Wi-Fiスポットの充実などを考えている。

― コロナ禍の選挙戦。どのように戦いますか。

蓬沢 メディアの皆さんへのお願いです。小規模でもいいから密を避け、立候補者、高校生、記者の皆さん、市議会議員などが参加する、座談会や討論会のセッティングお願いしたい。

― これまでのキャリアと政治未経験での市長選立候補は一見、無謀とも思えますが。

蓬沢 社会の未来を創る、という点では教育と政治のスキルは同じ。やりたいから出る、ということで他人に犠牲を強いるのは本意ではない。困っている人を支えることができると思うから出る。政治に関心がないのは困ってないからだ。ただ本当の声を救い上げきれていない部分もあるはず。私が出ることで、こんな面白いやつがいるんだ、いろいろな生き方があるんだ、と市民に思ってもらえるなら本望だ。

【取材メモ】もともとは教員志望で資格は取得したものの、「大学では教える技術を学べなかった」として、スキル習得のため学習塾業界に。保育士資格、日本語能力検定試験合格。現在は建築物環境衛生管理技術者、中小企業診断士に挑むなど、自らもさまざまな再チャレンジを実践している。
東日本大震災時に現地ボランティア参加。この時、生きる上での清掃スキルの必要性を痛感した。学習塾経営の傍らに営む「そうじ部」に活かされている。好きなコミックでは、ネットアプリで読む「最果てのパラディン」を挙げた。(2021年12月16日 廣瀬昭夫)

              【1】【2】【3】
「何かあった時に備える教育は、政治と同じ」蓬沢候補
2021年の伊勢崎市長選 3立候補者に聞く【1】

 20歳〜40歳までの青年経済人を中心に、会員は年間を通してさまざまな青少年育成や地域振興事業をボランティアで行っている。この社会活動がコロナ禍で一変。家族の生活、会員の企業活動にも大きな影響を及ぼした。「従来の活動は平常時のこと。今までのように活動を続けていいものか」。開催期限が迫る、ひとつひとつの事業に対して常に決断を迫られる葛藤の日々が続いた。

 やってもやらなくても賛否両論、クレームはついて回る。「止めるのは簡単。止めていいわけがない。社会を明るく豊かにしようという理想に近づくために、今少しもがいてみよう」と前を向いた。コロナ渦関連では4月、伊勢崎市社会福祉協議会に5000枚のマスクなど、6月には訪問看護団体に防護服600着を寄付。他の集会事業は随時、Zoom(テレビ会議)やユーチューブ配信などに切り替えて実施した。

 7月例会のZoomによる3理事長鼎談。金沢JC(鶴山雄一理事長 石川県)の企業タイアップによるマスクの共同購入、枕崎JC(神園知洋理事長 鹿児島県)の低迷飲食店の食材活用100円弁当で子供家庭支援に刺激を受けた。中止が決まった「いせさきまつり」に代えて9月22日、コロナ禍で疲弊した地域を元気づけ、その終息後の明るい未来を見据えた活力キャンペーンを実施。市内各所で動画を上映、配信する。シネコンのムービックス伊勢崎では10月22日まで、映画の幕間に15秒の動画を上映している。

 板金施工専門の会社で3兄弟が役割分担し経営にあたっている。副社長の兄は現場を統括し、自身は積算、弟は営業全般をこなす。2018年11月に結婚し、昨年6月に誕生した長女はかわいい盛りだが、生まれてほどなく、多忙な理事長就任の覚悟を決めて今に至る。「こうした状況でも引き受ける人間の存在を会員に知って欲しい」が密かな願いだったが、現実は今年に入ってコロナ渦も加わり、心は何度も折れた。

 伊勢崎JCの今年度スローガンは「百折不撓」。失敗を恐れずに何度でもチャレンジしようと、会員と自らを鼓舞する。失敗を回避し続けてきた人生だったが、JCでは多くの先輩から失敗に対する叱咤激励の洗礼を浴びた。「人前での話は今でも緊張」と照れるが、1月の新春祝賀会以降、恵まれた体躯にあった堂々の理事長挨拶は、歴代に引けをとらない。風呂、車中、カラオケボックスのマイクを前に、回数を重ねたリハーサルを最後に明かしてくれた。(2020年9月21日) 
コロナ渦でも「理想に近づくために もがいてみる」
伊勢崎青年会議所(JC)第57代理事長 井野伯俊さん
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