オカリナ奏者としてまだ無名だった宗次郎氏(館林市出身)のテレビ演奏で、その音色に惹かれた。思わず楽器を購入してしまったという。引き出しの奥にしまったそのオカリナを、再び手にしたのは5年後の1988年だった。

 宗次郎氏の師、火山久氏率いる「足利ネオ・クレイトン・アンサンブル」。その前橋公演で、上質な演奏に衝撃を受けた。オカリナだけでなく、教会音楽の作曲家としても、国際的評価を得ていた火山氏をこの時、初めて知った。

 半年後の火山氏指導のオカリナ教室(前橋市内)開催で、2年間指導を仰ぐ。月2回の指導は、初心者ばかりの受講生には時間不足。設計事務所勤務が終わる午後10時〜11時、路上脇に停めた帰りの車中で、午前0時を過ぎるまで練習に明け暮れた。

 めったに褒めることがなかったという火山氏。数ヵ月後、練習の成果を単独で聴いてもらった時、握手を求められた。この時の「火山先生のグローブのような手が今でも忘れられない」と昨日のことのように語る。

 四重奏団はソプラノ、アルト、テノール、バス(栗原さん)を担当する愛好者4人で2008年に結成。プロ・指導者・愛好家が年1回、埼玉芸術劇場に集う「ジャパン・オカリナ・フェスティバル」には2010年から出演し、2013年にはトリを飾った。

 県内各地の演奏活動では唱歌、世界民謡、クラシックなどの演奏に合わせミサ曲などを披露している。愚直に求めてきたのは、四重奏から生まれる純正調の美しい響き。「次の世代にきちっと伝えたい」と、2つのオカリナサークルの講師も務める。

 穴を開けた陶製の壷を共鳴させるオカリナ。音域は狭いが、息の強弱により不器用なまでに素朴で、暖かな音色を紡ぎ出す。「土の素材が持つ豊かな音楽性。その可能性を追求したい」は、師が指摘していた言葉でもあった。

 オカリナ同様に熱く語るのは、建築設計士として関わる“街づくり”。代表を務める「いせさき街並研究会」ではワークショップ、まち歩きの案内などを通して「歴史を活かした街づくり」を根気よく提唱し続けている。(2018年11月27日)
「土の素材が持つ豊かな音楽性。その可能性を追求したい」
オカリナ四重奏団 アンサンブル・オウル代表 栗原昭矩さん
 伊勢崎市第二市民体育館(乾町)で10月8日興行の「WWSプロレス」。「デスマッチの帝王」の異名と、過激な鎖鎌や火炎噴きで観客を沸かせた、伊勢崎市生まれのプロレスラー、ミスター・ポーゴ(本名:関川哲夫さん)が設立した地域密着のプロレス団体だ。

 2000年の設立以前から付き人兼マネージャーだったことから、携わってきた運営。昨年6月、ポーゴ病死(享年66歳)に伴い、代表を引き継いだ。

 「人生を変えた」と言わせるポーゴとの出会い。経営していたパブにポーゴが顔を出すようになったのが縁だった。面倒見の良さを買われて、ほどなく付け人兼マネージャーに。プロレスファンだったことから、二つ返事で引き受けた。

 飲食店経営者兼スキンヘッドで赤フンいっちょうの「謎のマネージャー、ラーメンマン」の誕生だ。リングサイドから、ポーゴ現役時代は武器運び(火炎噴射の火種など)も担当した。

 試合中、脇にいてその火を吹きかかけられたこともあり「酷い目にあった」とこぼす。一方で「お茶目で寂しがり屋」と憎めない一面も明かす。夜中の電話は頻繁で、時には「部屋にお婆さんがいる」と幽霊を怖がった。

 「プロレスラーとしてだけでなく、プロモーターとしても一流だった」というポーゴ亡き後、昨年11月の追悼興行(伊勢崎市第二市民体育館)や東京・新木場興行を開催してきた。「今後もポーゴさんとゆかりの選手たちと、地域密着でファンの期待に応えたい」と決意を語る。

 ポーゴのあとを継ぐエースとして、期待を掛けるのが、体もひとまわり大きくなった高瀬直也。「ポーゴさんの名を残しつつ、ファンに楽しんでもらえる新しいことにも挑戦したい」と新たな看板レスラーの育成や新企画にも力を注ぐ。

 ラーメン店経営と並行して、今は8日開催の興行の準備とチケット売りに忙しい。その合間に、スマホのラインゲームを仲間と楽しんでいる。(2018年10月5日)

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「ポーゴさんの名を残しつつ、新しいことにも挑戦」
WWSプロレス代表 横堀博英さん
 伊勢崎市出身で「からりこ節」「ちゃっきり節」を作曲した民謡開拓の第一人者で、現代邦楽の開祖として知られる町田佳聲―。市内の有志で組織する「生誕130周年実行委員会」(下城好男委員長)が今年、さまざまな事業を展開している。 実行委員の一人でもあり、所属する相川考古庫館学芸員として「作曲家町田嘉章と詩人北原白秋・西條八十」(2018年5月23日〜6月10日)の企画展を担当した。

作曲家としての佳聲を中心に、交流のあった白秋、八十の関連資料を展示。関連レコードを揃え、企画展冊子もまとめた。企画展タイトルは筆名の「佳聲」ではなく、本名の“嘉章”にこだわった。企画展でクローズアップした新民謡時代は、嘉章の名で多くの作曲を手掛けたからだ。

 相川考古館の目と鼻の先にある、起(むく)り屋根の瀟洒な建物が、佳聲の生家。地元の伊勢崎と白秋や八十との接点を知ったことは「衝撃的だった」と驚きを表現する。活動は相川考古館としての単体運営にとどまらず、周辺地域のさまざまな歴史資産との連携を模索。「十分な素材がある」と、観光立地都市を視野に入れる。帰省後、さまざまな関係者との交流を深めてきた狙いがそこにある。

 切り絵に魅了されるきっかけは、中3の仏像の切り絵授業。好評価に気を良くし、大学では2年生の文化祭で、作品展を開いた。「将来の仕事の一貫に」と卒業後は、紙に係る業態の会社に勤務したほどだ。

 伊勢崎市緑町の路地裏で9月9日に開かれた「路地裏ビアガーデン」。このポスターデザインを切り絵で作品にした。現在も旧時報鐘楼や伊勢崎神社など、地域の風景や風物の切り絵作品の制作を続けている。作品がたまったら、ポストカードにする予定。切り絵作家としての夢も、少しずつ手繰り寄せようとしている。(2018年9月14日)

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相川考古館学芸員 相川裕保さん
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