丸や長方形の石鹸(Soap)に、ナイフで模様が彫り込まれると、見事なバラに様変わりする。タイの宮廷で料理を美しく飾るために、スイカやメロンなどの果物や野菜に彫刻(Carving)したのがその始まり。「フルーツ&ベジタブルカービング」と呼ばれ、ここから派生したのが、石鹸を材料にした「ソープカービング」だ。より繊細な模様と香りを楽しめることから、インテリアやプレゼントにと日本でも愛好者が増えている。

 夫の海外赴任に伴って2001年から、3年間滞在したドイツのフランクフルト。同様に夫の海外赴任でタイからきた日本人女性と語学学校で机を並べ、フルーツカービングの存在を知った。果物・野菜を素材に、仲間数人と彼女から学び始めた。「後々も残るものに」と、帰国1年前には材料を石鹸に切り替えていた。

 その魅力として手軽さを挙げる。道具はナイフと彫刻刀のみ。安価な材料、わずかな作業スペースに「手先の器用さも、あまり関係ありません」と付け加える。「作品として残していくと大きなアレンジメントにも」(写真参照)と、さまざまな楽しみ方も紹介する。6年前に、これまでに制作した作品を一区切りとする写真集「ソープカービングアレンジ」を自主制作している。

 公民館やカルチャーセンターを会場に教室を始めて16年で、生徒は約150人。個人宅やサロン形式でも指導し、展示会&販売会の他、子供向けのワークショップも開催している。新型コロナウィルスの影響で、しばらく活動を休止していたが、6月に入り各教室の再開が順次始まっている。“巣籠状態”期間中は、グループラインに「こんなの作りました」と、生徒のモチベーション維持に作品投稿を続けた。

 社会人2年目に上司の紹介で、英国のレディング市に赴任中だった社員と結婚。ほどなく渡英し、7年後に帰国。夫がその7年後に再渡英(英国4年、ドイツ3年)し、海外暮らしは通算14年に及ぶ。この間、2人の娘の子育ても。日本人コミュニティーに加え、図書館ボランティアや料理コンテスト参加など、現地外国人との交流も深めた。週末は「有名作品はほとんど観た」というミュージカル鑑賞、長期休暇は旅行を楽しんだ。

 年間平均100日は出張で、夫不在という海外暮らし。不安や悩みを振り返っても、具体的なことはあまり思い起こせず「むしろ子供のほうが大変だったのでは」と気遣った。ソープカービングでは下書きもない石鹸(中心に方位線のような目安印はある)に、イメージした繊細な花のデザインを縦横無尽にコツコツ大胆、一気呵成に彫り込む。その作業は何事にも動じない、そのおおらかさが絶妙に調和しているのかもしれない。(2020年6月7日)

ソープカービング教室などの問合せ「yasuko0903@rhytlm.ocn.ne.jp
繊細な花模様を大胆、一気呵成に彫る石鹸彫刻
ソープカービングカルチャー講師 佐藤泰子さん
 新型コロナウィルスの猛威が世界中に吹き荒れている。人の交流と物流が滞り、消費の落ち込みは日に日に深刻さを増している。「会議所内に相談窓口を設けるなど、資金繰り支援を」と、地域経済を牽引する経済団体として、中小企業の側面支援を真っ先に口にした。言葉を選びながら、取り組みを丁寧に説明する。

 就任早々打ち出しているのが会員の増強だ。年々減少傾向にあり、現在の会員は約2200社。「目標は2500社」を掲げ、内外に協力を求めて行く。中小企業は経営者の高齢化、後継者不足が深刻で課題は多い。かつては地域を支えた繊維産業。加えて化学、食品業界の会員も減少傾向にあり、底上げを模索する。

 そうした中で期待をかけているのが、青年部や女性部会の活躍。伊勢崎オートレース場で昨秋開かれた、もんじゃ焼きのギネス挑戦など、注目を集めた事業の他、「軽トラ市」「イルミネーション」などを例に挙げ「元気を出して事業を円滑に推進できる規模の維持を」と訴える。

 もうひとつの課題が、古賀友二前会頭から引き継いだ、老朽化した会議所会館の建替事業だ。移転新築候補地の検討を重ねてきたが、絞り込みには至らなかった。そこで3年間取り組んできた建設特別委員会は一旦解散し、新たな特別委員会の元に、事業の再スタートを切る。現在地の建て替えを含めて基本に返り、本来の望ましい会議所会館のあり方を追求。そのための予算や建設地を再検討していく。

 中小企業庁が求めているBCP(事業継続計画)。自然災害や大火災、テロ攻撃などの緊急事態に備えて平時に行うべき活動や緊急時の事業継続方法・手段などを、取り決めておく計画だ。会議所でも既に昨年、マニュアルは策定している。そのベースとなる会議所会館が老朽化し、脆弱なままではでは運用体制の確立にも支障をきたす。「事業化を急ぎたい」として、災害に強いBCP対応の新会議所会館建設に力を注ぐ。

 祖父が1948年、伊勢崎の地に創業した各種産業用・医療用ガス販売の辻商店。1961年には太田営業所を開設している。1992年に3代目社長に就任し、2008年から会長を務めた。この間、高度な技術を求められる医療分野にも進出。医療ガスだけでなく、在宅酸素療法、睡眠時無呼吸症候群などの在宅・地域医療の支援体制を整えている。

 BCPは既に、自社で先行して取り組んできた。昨年、太田市泉町の5300平方メートルの敷地に、BCPセンターを開設。取扱商品の災害・緊急時の備蓄など、取引先の事業継続サポート体制を構築した。建物は浸水被害を防ぐため、1階床を1メートル嵩上げ。停電時の非常用発電機への切り替え、BCP発動時の連絡手段として衛星電話も完備している。

 健康には留意して1週間に1回はスポーツジムに通い、ゴルフは「誘われれば断らない」。長男一家との同居で、孫と一緒のためか「揚げ物が多い」と食生活をちょっと心配する。神戸に住む次男家族も合流して、家族旅行を楽しんでいる。国内は北海道、海外はハワイにまで足を伸ばした。「支払いは全てこちらもち」とこぼすが、顔は笑っている。(2020年3月1日)

災害に強いBCP対応の新会議所会館を
伊勢崎商工会議所会頭 辻健夫さん
 伊勢崎市出身で鋳金工芸家の森村酉三の没後70年展「森村酉三とその時代」が10日まで、群馬県立美術館で開かれている。3年前から担当学芸員として企画から関わってきた。一般的にはなじみの薄い“鋳金”という芸術分野。戦前から戦中、戦後の時代に「日本の伝統と西洋のモダンを掛け合わせ、独自の芸術文化を生み出すことができた良き時代を駆け抜けた存在」と森村を解説。もっとも「金属には不遇な時代だった」と付け加えた。

 戦時中の供出を免れ、伊勢崎市立三郷小学校が所蔵する森村の新田義貞像。生誕120年の2017年の年頭、双子の娘たちが通う縁から、残っていないと思っていた作品が身近にあることを知った。それが企画展開催へのきっかけだった。美術館の大展示室の大空間を埋めるための収集点数に不安はあったが、森村酉三・寿々夫妻の研究者の手島仁さんの協力も大きな弾みとなった。

 モダンなデザインの鳥、動物などの小さな置物や工芸的な花瓶、建築装飾品、人物などの彫刻と、森村作品は多岐に渡る。ただ文献で存在は確認できていても、戦中の金属類供出などで森村作品そのものは行方知れずが少なくない。所有は1,2点という個人も多く、情報を集めて地道に各地を訪ね歩いた。「あ〜、ここにあったんだ」という発見もたびたび。埋もれた作品に辿りつくことで、森村作品90点を含む140点を集めた。

 高崎の白衣大観音原型制作者で知られている森村は「当時の鋳金工芸の最先端を行く改革者。一方で、伝統を重んじるという両面を持つ」。企画展では「花瓶などでは工芸的面、人物では彫刻家として、動物の置物ではモダンなデザイン」などが見どころと指摘する。

 中学校の歴史を学ぶ中で、仏像や立体物、彫刻に興味を持った。大学では西洋の古代彫刻や、ギリシャ、ロマネスク時代の彫刻を学び、フランス留学時代はそれらの現地を訪ね歩いた。建築の装飾にも興味があり、中世の建築コースも専攻した。地図を片手にフランスの片田舎を駆け回ったことで「ヨーロッパの文化の原点を知ることにも」と当時を思い起こす。

 所蔵作品の保存管理や展覧会の企画から開催までに関わる美術館の学芸員。「よりダイナミックだった」と振り返るのは、館林美術館在籍時に担当した「再発見!ニッポンの立体展」(2016年7月〜9月)。静岡・三重の県立美術館との共同巡回展として、アイデアと調整に時間をかけた。とはいえ学芸員の仕事は「一般的には雑用も多い」と、足を使った今回の企画展のようにフットワークの必要性も説く。

 常に企画展のテーマを考えている。プライベートの美術展巡りは「やはり仕事の延長になる」と家族は伴わない。娘たちには違う分野で、自分たちの好きなことを見つけて欲しいという思いもある。一方で足を運んで欲しいのは、自身が担当した企画展。普段から「理系の世界」の夫の関心は薄いが、「せめて」の思いは少なからずある。(2019年11月8日 廣瀬昭夫)
各地訪ね作品収集 没後70年「森村酉三企画展」
群馬県立近代美術館学芸員 神尾玲子さん
 伊勢崎商工会議所青年部の3大事業「いせさきまつり」、「ミスひまわりコンテスト」、秋の「もんじゃ祭り」が年々進化している。9月7日開催のコンテストは、応募者を1次審査で10人まで絞込み、2次審査でミスひまわり3人を選出した。昨年までは1分間の自己アピールだけで選んでいたが、2次審査の10人には、5分の時間を確保。応募者それぞれの魅力を引き出そうと工夫している。

 伊勢崎オートレース場で10月6日開催の「いせさきもんじゃチャレンジフェスティバル2019」。今年は280人分のもんじゃ焼き鉄板を並べて、一カ所で同時調理の「体験参加」によりギネス世界記録に挑戦する。青年部で「いせさきもんじゃ」を商品化し、「もじゃろー」のイメージキャラクター制作など、全国に情報を発信し続けて17年。今年は世界へとステージが広がる。

 一連の事業実施のなかで「会社だけでは得るこのできない学びや経験、志をともにする多くの仲間との出会い」を活動の拠り所として青年部活動をアピール。課題や問題も抱えながらも、未来に向けて同時並行で、新しいことに果敢に挑む必要性を訴える。「ギネス挑戦を成功裏に導き、次年度へと良い形でつなげたい」と、開催を間近に控えた心境を語る。

 全国各地の青年部で組織するのが日本商工会議所青年部(本部・東京都千代田区)。加盟単会は418、会員数は3万4000人に及ぶ。全国から約5000人の会員が集う全国大会が2025年度、群馬で開催される。伊勢崎は昨年度、この開催地に立候補した。同時に手を挙げたのが太田。「今年度は誘致のために非常に重要な1年。開催がもたらす地域への経済効果、自己と仲間の成長を信じ、全力で取り組みたい」と、こちらにも意欲をみせる。

 「青年部」「各人の事業」に加えて「家族」と「生命」の承継を包含した「未来への承継」を今年度のスローガンに掲げた。関わる葬祭業は、まさにその家族と生命の承継の最前線。目の当たりにする日々の中で、「それが希薄になりつつある」と嘆く。業界の変化には自社の会員制度を見直したほか、休日確保など職場環境を整え、社員の定着率を高めた。業界では異例の新卒採用も始めている。

 高校野球の名門、前橋工業に入学したものの、100人の大所帯でレギュラーを諦め、個人競技の自転車部に転部。3年でインターハイ2位の実績から、スポーツ推薦で大学入学。プロを目指して全寮制の自転車部でハードな練習をこなし、4年の時、日本代表として海外遠征にも参加した。辛抱強さはこの時に鍛えられ「今の自分がある」と振り返る。

 数年前まで矢沢永吉の12月の武道館ライブに、妻とよく足を運んだ。とりたててファンではないが、妻が喜ぶ時間を共有することで、自身の喜びに繋げている。「妻の手料理も大好き」で、2人で晩酌もしばしば。社内恋愛だから職場環境にも理解があり、妻と一緒が至福の時間になっている。(2019年9月26日)

もんじゃでギネス世界一、全国大会誘致に果敢に挑戦
伊勢崎商工会議所青年部 第31代会長 菊池潤一さん
 あんみつを頼んだのにわらび餅が運ばれてくるような「注文を間違える茶屋」が1日限定の4月13日、境地域福祉センター(伊勢崎市境上武士)にオープンした。来店者は開店前に、装着したゴーグルのバーチャルリアリティ(VR)技術で、認知症の幻視症状などを体験する。2025年には5人に1人が発症すると言われる認知症。伊勢崎JCが企画した、その体感プロジェクト「みらい創造セミナー」だ。

 定員50人は満席。「間違えたことを責めずに受け入れる」「声を掛ける言葉が違ってきた」など、参加者の気づきには熱がこもる。前年度に理事長の打診を受ける中で自ら企画。準備には伊勢崎佐波医師会や医療法人関係者と担当メンバーらが事前相談。高齢化社会を見据えた若者(JC在籍は20〜40歳)の企画に、相談先では「意外」だけれど「面白い」と、多くの協力と賛同にも確かな手ごたえを感じた。

 人口減少・高齢化社会を悲観的にみることなく、生産年齢人口層と高齢者層が協働する社会への進化の過程と捉える。日本人が古来持っている「助け合い」「和の精神」を強調。それを発揮できる人材の育成を自らと組織に求める。学びと積極的な行動で健全な新陳代謝を図る。同時に組織の拡大には卒業OBの輩出も「数の力」として、JC活動が目的とする持続的な「明るい豊かな社会の実現」を目指す。

 兄が社長で、専務として営業全般を担当している社業は青果卸。関連会社で農業生産法人も持っている。食の好みや多様化する業態の変化への対応が課題で、カット野菜などの加工やパッケージ化もその一環。地域活性化も視野に、今まではなかった食品素材として、県内産やまと芋100パーセントの粉を商品化している。

 県内私立高校を1年の1学期で中退し、全国から生徒が集まる、自由で特色ある校風の星槎国際高校に編入学した。自分の居場所を求めて親を説得。あえて困難な道を選び、都内のキャンパスにアパートから通学した。この3年間と卒業後も都内に留まり2年半勤めた、カラオケ店の接客や裏方アルバイトが、人間修行の場だったと振り返る。

 家族は妻と長男(9歳)、二男(6歳)の4人家族。子供たちに今から言い聞かせているのが「大事なことは自分で決めろ」。休みがあれば足を運びたいのが、日本のロックバンド「ネバーヤングビーチ」と「ヨギー・ニュー・ウェーブス」のコンサート。Jリーグ開幕以来の「浦和レッズ」のファンで、年に5回はスタジアムで応援している。理事長としての多忙な活動もあり「 今シーズンは一度も行けそうにない」と諦めている。(2019年4月20日)
高齢化社会を見据え、異色の認知症体感プロジェクトを開催
伊勢崎青年会議所(JC)第56代理事長 栗原弘充さん
 「えっ、こんなところで」と驚く、冷え込みが厳しい夜のJR伊勢崎駅北口。駅舎や高架上のホームからこぼれる明かりの中を、通行人がまばらに往来する。その脇の駅前公園の縁木に腰掛けて、ギター片手に熱唱するストリートミュージシャン。路上ライブは昨年夏から友人と前橋駅で既に経験済みだった。

 伊勢崎駅北口には、昨年12月から毎月午後7時頃から9時頃まで、第1・第3金曜日に仕事を終えてかけつけている。「音楽で何も無い所から盛り上げたい」が、高崎や前橋、伊勢崎駅では賑やかな南口より人通りの少ない北口を選んだ理由という。ここでは高校生らが時折立ち止まったりするが、ほとんどの通行人は目線を向けることもなく通り過ぎる。

 1998年に急逝したXJAPANのギタリストhideの音楽や生き様など、高校生時代はその全てに憧れた。勢いで専門学校時代に友人とバンド活動を始めたものの、仕事や家庭を持つと続かなかった。再びギターを手にしたのは、環境が多少落ち着いてきた3年程前。ブランクを埋めるために、ギター教室に通い始めた。その講師の紹介で初ステージを踏んだのは2016年12月。これをきっかけに、さまざまな場で演奏活動を始めている。

 4人組バンド「glad」(グラード)、ヴォーカルとの2人組みユニット「longchocolate」(ロングチョコレート)を昨年、相次いで結成。ここではアコースティックギターを弾いているが、4人組ユニットの「ハレアラレ」ではヴォーカルを担当している。アコースティックライブハウス「音処きしん」を拠点に活動の場を広げている。同ハウスマスター出演の前橋CITYエフエムで毎週火曜日放送の「きしん伝心」(午後7時〜7時30分)。第1火曜日にパーソナリティを務めている。

 現在はオリジナルCDを企画中。ロンチョコで相棒のヴォーカル「RUMI」さんに作詞を依頼し、自身が作曲する。次の目標はまだ明確に決めていないが、伊勢崎駅北口の夜間路上ライブは今後も続ける。「例え少ない応援でも、聴いてくれる人がいるだけで頑張れる」と、へこたれない。

 2004年に結婚し、長男(小6)、次男(小4)、長女(年長)の5人家族。奥さんとはゴルフ練習場のアルバイトで知り合った。演奏活動については「しょうがない」と半ば諦め顔でうなずく奥さんに「理解してもらっている」つもりでいる。

 家族サービスは、自身の趣味も兼ねたアウトドア。ワンボックスカーにテントなどのキャンピング用具を詰め込み、ギター持参で出かける。川遊びが好きで、玉村町内の河川敷など近場が多い。この時とばかりに専属シェフに変身し、家族をもてなす。演奏活動の負い目を、こうした家族の団欒で穴埋めしている。(2019年2月20日 廣瀬昭夫)
    
加藤大樹(だいちゃん)SNS
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路上ライブで「何も無いところから音楽で盛り上げたい」
伊勢崎駅北口のストリートミュージシャン 加藤大樹さん
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