伊勢崎市出身で鋳金工芸家の森村酉三の没後70年展「森村酉三とその時代」が10日まで、群馬県立美術館で開かれている。3年前から担当学芸員として企画から関わってきた。一般的にはなじみの薄い“鋳金”という芸術分野。戦前から戦中、戦後の時代に「日本の伝統と西洋のモダンを掛け合わせ、独自の芸術文化を生み出すことができた良き時代を駆け抜けた存在」と森村を解説。もっとも「金属には不遇な時代だった」と付け加えた。

 戦時中の供出を免れ、伊勢崎市立三郷小学校が所蔵する森村の新田義貞像。生誕120年の2017年の年頭、双子の娘たちが通う縁から、残っていないと思っていた作品が身近にあることを知った。それが企画展開催へのきっかけだった。美術館の大展示室の大空間を埋めるための収集点数に不安はあったが、森村酉三・寿々夫妻の研究者の手島仁さんの協力も大きな弾みとなった。

 モダンなデザインの鳥、動物などの小さな置物や工芸的な花瓶、建築装飾品、人物などの彫刻と、森村作品は多岐に渡る。ただ文献で存在は確認できていても、戦中の金属類供出などで森村作品そのものは行方知れずが少なくない。所有は1,2点という個人も多く、情報を集めて地道に各地を訪ね歩いた。「あ〜、ここにあったんだ」という発見もたびたび。埋もれた作品に辿りつくことで、森村作品90点を含む140点を集めた。

 高崎の白衣大観音原型制作者で知られている森村は「当時の鋳金工芸の最先端を行く改革者。一方で、伝統を重んじるという両面を持つ」。企画展では「花瓶などでは工芸的面、人物では彫刻家として、動物の置物ではモダンなデザイン」などが見どころと指摘する。

 中学校の歴史を学ぶ中で、仏像や立体物、彫刻に興味を持った。大学では西洋の古代彫刻や、ギリシャ、ロマネスク時代の彫刻を学び、フランス留学時代はそれらの現地を訪ね歩いた。建築の装飾にも興味があり、中世の建築コースも専攻した。地図を片手にフランスの片田舎を駆け回ったことで「ヨーロッパの文化の原点を知ることにも」と当時を思い起こす。

 所蔵作品の保存管理や展覧会の企画から開催までに関わる美術館の学芸員。「よりダイナミックだった」と振り返るのは、館林美術館在籍時に担当した「再発見!ニッポンの立体展」(2016年7月〜9月)。静岡・三重の県立美術館との共同巡回展として、アイデアと調整に時間をかけた。とはいえ学芸員の仕事は「一般的には雑用も多い」と、足を使った今回の企画展のようにフットワークの必要性も説く。

 常に企画展のテーマを考えている。プライベートの美術展巡りは「やはり仕事の延長になる」と家族は伴わない。娘たちには違う分野で、自分たちの好きなことを見つけて欲しいという思いもある。一方で足を運んで欲しいのは、自身が担当した企画展。普段から「理系の世界」の夫の関心は薄いが、「せめて」の思いは少なからずある。(2019年11月8日 廣瀬昭夫)
各地訪ね作品収集 没後70年「森村酉三企画展」
群馬県立近代美術館学芸員 神尾玲子さん
 伊勢崎商工会議所青年部の3大事業「いせさきまつり」、「ミスひまわりコンテスト」、秋の「もんじゃ祭り」が年々進化している。9月7日開催のコンテストは、応募者を1次審査で10人まで絞込み、2次審査でミスひまわり3人を選出した。昨年までは1分間の自己アピールだけで選んでいたが、2次審査の10人には、5分の時間を確保。応募者それぞれの魅力を引き出そうと工夫している。

 伊勢崎オートレース場で10月6日開催の「いせさきもんじゃチャレンジフェスティバル2019」。今年は280人分のもんじゃ焼き鉄板を並べて、一カ所で同時調理の「体験参加」によりギネス世界記録に挑戦する。青年部で「いせさきもんじゃ」を商品化し、「もじゃろー」のイメージキャラクター制作など、全国に情報を発信し続けて17年。今年は世界へとステージが広がる。

 一連の事業実施のなかで「会社だけでは得るこのできない学びや経験、志をともにする多くの仲間との出会い」を活動の拠り所として青年部活動をアピール。課題や問題も抱えながらも、未来に向けて同時並行で、新しいことに果敢に挑む必要性を訴える。「ギネス挑戦を成功裏に導き、次年度へと良い形でつなげたい」と、開催を間近に控えた心境を語る。

 全国各地の青年部で組織するのが日本商工会議所青年部(本部・東京都千代田区)。加盟単会は418、会員数は3万4000人に及ぶ。全国から約5000人の会員が集う全国大会が2025年度、群馬で開催される。伊勢崎は昨年度、この開催地に立候補した。同時に手を挙げたのが太田。「今年度は誘致のために非常に重要な1年。開催がもたらす地域への経済効果、自己と仲間の成長を信じ、全力で取り組みたい」と、こちらにも意欲をみせる。

 「青年部」「各人の事業」に加えて「家族」と「生命」の承継を包含した「未来への承継」を今年度のスローガンに掲げた。関わる葬祭業は、まさにその家族と生命の承継の最前線。目の当たりにする日々の中で、「それが希薄になりつつある」と嘆く。業界の変化には自社の会員制度を見直したほか、休日確保など職場環境を整え、社員の定着率を高めた。業界では異例の新卒採用も始めている。

 高校野球の名門、前橋工業に入学したものの、100人の大所帯でレギュラーを諦め、個人競技の自転車部に転部。3年でインターハイ2位の実績から、スポーツ推薦で大学入学。プロを目指して全寮制の自転車部でハードな練習をこなし、4年の時、日本代表として海外遠征にも参加した。辛抱強さはこの時に鍛えられ「今の自分がある」と振り返る。

 数年前まで矢沢永吉の12月の武道館ライブに、妻とよく足を運んだ。とりたててファンではないが、妻が喜ぶ時間を共有することで、自身の喜びに繋げている。「妻の手料理も大好き」で、2人で晩酌もしばしば。社内恋愛だから職場環境にも理解があり、妻と一緒が至福の時間になっている。(2019年9月26日)

もんじゃでギネス世界一、全国大会誘致に果敢に挑戦
伊勢崎商工会議所青年部 第31代会長 菊池潤一さん
 あんみつを頼んだのにわらび餅が運ばれてくるような「注文を間違える茶屋」が1日限定の4月13日、境地域福祉センター(伊勢崎市境上武士)にオープンした。来店者は開店前に、装着したゴーグルのバーチャルリアリティ(VR)技術で、認知症の幻視症状などを体験する。2025年には5人に1人が発症すると言われる認知症。伊勢崎JCが企画した、その体感プロジェクト「みらい創造セミナー」だ。

 定員50人は満席。「間違えたことを責めずに受け入れる」「声を掛ける言葉が違ってきた」など、参加者の気づきには熱がこもる。前年度に理事長の打診を受ける中で自ら企画。準備には伊勢崎佐波医師会や医療法人関係者と担当メンバーらが事前相談。高齢化社会を見据えた若者(JC在籍は20〜40歳)の企画に、相談先では「意外」だけれど「面白い」と、多くの協力と賛同にも確かな手ごたえを感じた。

 人口減少・高齢化社会を悲観的にみることなく、生産年齢人口層と高齢者層が協働する社会への進化の過程と捉える。日本人が古来持っている「助け合い」「和の精神」を強調。それを発揮できる人材の育成を自らと組織に求める。学びと積極的な行動で健全な新陳代謝を図る。同時に組織の拡大には卒業OBの輩出も「数の力」として、JC活動が目的とする持続的な「明るい豊かな社会の実現」を目指す。

 兄が社長で、専務として営業全般を担当している社業は青果卸。関連会社で農業生産法人も持っている。食の好みや多様化する業態の変化への対応が課題で、カット野菜などの加工やパッケージ化もその一環。地域活性化も視野に、今まではなかった食品素材として、県内産やまと芋100パーセントの粉を商品化している。

 県内私立高校を1年の1学期で中退し、全国から生徒が集まる、自由で特色ある校風の星槎国際高校に編入学した。自分の居場所を求めて親を説得。あえて困難な道を選び、都内のキャンパスにアパートから通学した。この3年間と卒業後も都内に留まり2年半勤めた、カラオケ店の接客や裏方アルバイトが、人間修行の場だったと振り返る。

 家族は妻と長男(9歳)、二男(6歳)の4人家族。子供たちに今から言い聞かせているのが「大事なことは自分で決めろ」。休みがあれば足を運びたいのが、日本のロックバンド「ネバーヤングビーチ」と「ヨギー・ニュー・ウェーブス」のコンサート。Jリーグ開幕以来の「浦和レッズ」のファンで、年に5回はスタジアムで応援している。理事長としての多忙な活動もあり「 今シーズンは一度も行けそうにない」と諦めている。(2019年4月20日)
高齢化社会を見据え、異色の認知症体感プロジェクトを開催
伊勢崎青年会議所(JC)第56代理事長 栗原弘充さん
 「えっ、こんなところで」と驚く、冷え込みが厳しい夜のJR伊勢崎駅北口。駅舎や高架上のホームからこぼれる明かりの中を、通行人がまばらに往来する。その脇の駅前公園の縁木に腰掛けて、ギター片手に熱唱するストリートミュージシャン。路上ライブは昨年夏から友人と前橋駅で既に経験済みだった。

 伊勢崎駅北口には、昨年12月から毎月午後7時頃から9時頃まで、第1・第3金曜日に仕事を終えてかけつけている。「音楽で何も無い所から盛り上げたい」が、高崎や前橋、伊勢崎駅では賑やかな南口より人通りの少ない北口を選んだ理由という。ここでは高校生らが時折立ち止まったりするが、ほとんどの通行人は目線を向けることもなく通り過ぎる。

 1998年に急逝したXJAPANのギタリストhideの音楽や生き様など、高校生時代はその全てに憧れた。勢いで専門学校時代に友人とバンド活動を始めたものの、仕事や家庭を持つと続かなかった。再びギターを手にしたのは、環境が多少落ち着いてきた3年程前。ブランクを埋めるために、ギター教室に通い始めた。その講師の紹介で初ステージを踏んだのは2016年12月。これをきっかけに、さまざまな場で演奏活動を始めている。

 4人組バンド「glad」(グラード)、ヴォーカルとの2人組みユニット「longchocolate」(ロングチョコレート)を昨年、相次いで結成。ここではアコースティックギターを弾いているが、4人組ユニットの「ハレアラレ」ではヴォーカルを担当している。アコースティックライブハウス「音処きしん」を拠点に活動の場を広げている。同ハウスマスター出演の前橋CITYエフエムで毎週火曜日放送の「きしん伝心」(午後7時〜7時30分)。第1火曜日にパーソナリティを務めている。

 現在はオリジナルCDを企画中。ロンチョコで相棒のヴォーカル「RUMI」さんに作詞を依頼し、自身が作曲する。次の目標はまだ明確に決めていないが、伊勢崎駅北口の夜間路上ライブは今後も続ける。「例え少ない応援でも、聴いてくれる人がいるだけで頑張れる」と、へこたれない。

 2004年に結婚し、長男(小6)、次男(小4)、長女(年長)の5人家族。奥さんとはゴルフ練習場のアルバイトで知り合った。演奏活動については「しょうがない」と半ば諦め顔でうなずく奥さんに「理解してもらっている」つもりでいる。

 家族サービスは、自身の趣味も兼ねたアウトドア。ワンボックスカーにテントなどのキャンピング用具を詰め込み、ギター持参で出かける。川遊びが好きで、玉村町内の河川敷など近場が多い。この時とばかりに専属シェフに変身し、家族をもてなす。演奏活動の負い目を、こうした家族の団欒で穴埋めしている。(2019年2月20日 廣瀬昭夫)
    
加藤大樹(だいちゃん)SNS
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路上ライブで「何も無いところから音楽で盛り上げたい」
伊勢崎駅北口のストリートミュージシャン 加藤大樹さん
 「お母さん、僕は絶対にあの人のようになるよ」。そう告げたのは、小学1年の誕生日祝いで、チェコプラハ管弦楽団を指揮した武藤英明氏を目の前にした時だ。ひょんなきっかけから数ヵ月後、当時チェコ在住の氏からエアメールをもらい、交流を始めている。

 幼児の頃からピアノに触れていたのは、教室を開いている母の影響。漫画や絵本がわりに手に取っていたのは、クラシックのCDだった。1歳の頃は、しゃべるより先に鍵盤に手を置いていた。周囲からは早期の専門的な教育を促されたという。

 「オーケストラが見違える自然な棒の振り方、グィッ〜と引っ張る力がとにかくすごい」。そう驚嘆したのは、広島交響楽団音楽総監督で、京都市立芸術大学音楽学部教授の下野竜也氏が、群馬交響楽団を客演指揮した小学3年生の時だ。当時は上野学園大学教授だった縁もあり、学園への中学・高校進学に繋がった。

 東京芸大の指揮科の学年定員は2人で、今年その難関を現役で突破。東京・上野通学は、中高を含めると通算7年に及ぶ。中高時代は早朝や授業終了後のレッスンと超過密日程をこなした。通学電車の車中、作曲では譜面を取り出し、頭の中で音を並べた。

 指揮、ピアノ、作曲の3刀流を難なくこなすが、作曲はどちらかといえば「趣味の延長」と顔をほころばせる。作品は既に100曲近い。詩人の中原中也や高村光太郎などの詩に曲をつけたり、赤城山をテーマにした楽曲もある。

 留学を視野に入れる中で熱望しているのがフランスだ。近代フランスの印象派と新古典主義に心惹かれるという。カワイ前橋ショップで11月3日開催のピアノコンサート。プログラムは、ショパンやラヴェル、ドビュッシー、メシアンなど、フランスに関わる作曲家にこだわった。

 逸材として真価を問われる第一歩のステージが、12月25日の東京・杉並公会堂。現代音楽作曲家の権代敦彦氏作曲「Saewol-海から」の日本初演に指揮を執る。大学では学年有志でオーケストラ「ミレニアムシンフォニー」を組織。9月の芸祭に続いて来年2月22日、初の外部演奏会(有料)を開く。(2018年12月16日)

「僕は絶対にあの人(指揮者)のようになる」小学1年生で宣言
指揮者・ピアニスト・作曲家 東京芸大1年の須田陽さん
 オカリナ奏者としてまだ無名だった宗次郎氏(館林市出身)のテレビ演奏で、その音色に惹かれた。思わず楽器を購入してしまったという。引き出しの奥にしまったそのオカリナを、再び手にしたのは5年後の1988年だった。

 宗次郎氏の師、火山久氏率いる「足利ネオ・クレイトン・アンサンブル」。その前橋公演で、上質な演奏に衝撃を受けた。オカリナだけでなく、教会音楽の作曲家としても、国際的評価を得ていた火山氏をこの時、初めて知った。

 半年後の火山氏指導のオカリナ教室(前橋市内)開催で、2年間指導を仰ぐ。月2回の指導は、初心者ばかりの受講生には時間不足。設計事務所勤務が終わる午後10時〜11時、路上脇に停めた帰りの車中で、午前0時を過ぎるまで練習に明け暮れた。

 めったに褒めることがなかったという火山氏。数ヵ月後、練習の成果を単独で聴いてもらった時、握手を求められた。この時の「火山先生のグローブのような手が今でも忘れられない」と昨日のことのように語る。

 四重奏団はソプラノ、アルト、テノール、バス(栗原さん)を担当する愛好者4人で2008年に結成。プロ・指導者・愛好家が年1回、埼玉芸術劇場に集う「ジャパン・オカリナ・フェスティバル」には2010年から出演し、2013年にはトリを飾った。

 県内各地の演奏活動では唱歌、世界民謡、クラシックなどの演奏に合わせミサ曲などを披露している。愚直に求めてきたのは、四重奏から生まれる純正調の美しい響き。「次の世代にきちっと伝えたい」と、2つのオカリナサークルの講師も務める。

 穴を開けた陶製の壷を共鳴させるオカリナ。音域は狭いが、息の強弱により不器用なまでに素朴で、暖かな音色を紡ぎ出す。「土の素材が持つ豊かな音楽性。その可能性を追求したい」は、師が指摘していた言葉でもあった。

 オカリナ同様に熱く語るのは、建築設計士として関わる“街づくり”。代表を務める「いせさき街並研究会」ではワークショップ、まち歩きの案内などを通して「歴史を活かした街づくり」を根気よく提唱し続けている。(2018年11月27日)
「土の素材が持つ豊かな音楽性。その可能性を追求したい」
オカリナ四重奏団 アンサンブル・オウル代表 栗原昭矩さん
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