スマホを見つめる男性(写真はイメージ)

ほとんど対処されない 日本人のひきこもりが抱える絶望
地元プロが翻訳 ニューヨークタイムズ社説6 (2022年11月5日付)

 米国の高級紙、ニューヨークタイムズ。その社説から、日本人にとって関心が深いと思われるテーマ、米国からみた緊張高まる国際情勢の捉え方など、わかりやすい翻訳でお届けしています(電子版掲載から本サイト掲載まで多少の時間経過あり)。地元の翻訳家、星大吾さんの協力を得ました
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長引く日本のロストジェネレーションの悲劇(ゲストエッセイ ローランド・ケルツ/日系アメリカ人ライター)

 数年前、東京で開催された社会的に孤立した日本人のための支援団体で、私はヒロシ・Sに会った。

 ひっきりなしに煙草を吸うダウンベストを着た43歳の彼は、100万人以上いると推定されている「ひきこもり」と呼ばれる日本人の一人であった。彼らは一般に男性で、30歳から50歳まで、無職か非正規雇用、1990年代から続く日本経済の長期低迷により、職につけなくなり、社会から孤立している。

 ヒロシ(本人希望によりフルネームは伏せる)は、約20年前に日本の就職市場から転落し、彼に冷たい年老いた両親の家で生活し、ポップカルチャー商品の購入でクレジットカードの負債を増やしていた。自殺を考えたこともある。

 「日本は変わってしまった」と、彼は自分の世代にチャンスや希望が失われていくことを口にした。彼は一度も私の目を見ることはなかった。

 それが2017年のことだ。それ以来、日本はひきこもりの抱える絶望や、より大きな彼らが属する世代、すなわち経済的に疎外されたロストジェネレーション(就職氷河期世代)の問題にほとんど対処していない。

 精神衛生と雇用の問題は何年も続いており、新型コロナウィルス感染拡大によるさらなる悪化が懸念されている。しかし、政治家や社会はストイックな順応と安定した雇用を重視し、この問題に立ち向かおうとすることも方策を生み出すことも根本的にできていないように見える。

 日本のロストジェネレーションは1700万人とも言われ、今なお完全に脱し切れてはいない数十年にわたる経済停滞の中で成人した男女である。

 7月に安倍晋三元首相が暗殺されたことで、彼らの苦境は再び世間の注目を浴びるようになった。当時41歳だった山上徹也は、暗殺の前日、あるブロガーに手紙を送り、安倍氏の自民党と長い間つながりのある統一教会が「私の家族を壊し、破産に追いやった」と非難していた。彼の母親は同教会の信者で、多額の献金をしていた。

 山上がロストジェネレーションであることが殺害の要因であったことを示す具体的証拠はまだ出てきていない。しかし、日本のメディアや学者の中には、山上の経歴、つまり社会や労働に適合するのに苦労していたことが、彼が受難の世代の一員であることを示しており、自民党と統一教会(1954年に文鮮明が韓国で設立した保守系宗教団体)の関係というセンセーショナルな政治問題に焦点があてられたことにより、彼の怒りの深い根の部分が無視されていると指摘する者もいる。

 その根底には、戦後の日本の社会経済モデル(サラリーマンを中心とした、終身雇用で核家族を支える社会経済モデル)が保証されなくなっていることにある。このモデルは、1990年代初めのバブル崩壊(金融緩和と株式・不動産価格の高騰)以降、基盤を失い、現在も続く経済低迷が始まった。

 戦後日本で与党となった自民党の対応は、企業の利益維持に焦点を当てた政策で事態を悪化させたと非難される。その結果、正社員は削減され、待遇の低い短期雇用が増加した。雇用氷河期と呼ばれる労働市場が麻痺した時期が続いた。中産階級の所得が低下し、結婚や出生率が低下し、単身世帯の割合が増加した。

 孤立した日本人は行き場を失いがちである。最近になって改善されたとはいえ、日本のメンタルヘルスサービスは依然として不十分であり、費用も高くつくことが多い。日本では、「我満」のような文化があり、助けを求めることは恥ずべきこととされているため、心理カウンセリングへの抵抗が強い。国内メディアは、ロストジェネレーションを被害者としてではなく、自己中心的な恩知らずとして扱うのが普通である。

 このレッテル貼りに対する憤りは、私が参加した歌舞伎町の地下のラウンジで開かれた支援グループでも明らかだった(私はジャーナリストとして、関係者の支持を得て何度か会合に参加した)。約40人の参加者は、カジュアルだがきちんとした服装で、誰一人としておかしな様子はなかった。彼らは穏やかで明晰で、不安や失業、孤独、そして特に、自分たちの問題に対してしばしば「もっとがんばれ!」という旧世代に対する怒りについて、驚くほど率直に語っていた。親と同居していても、ほとんど話をしない者もいる。

 2019年、51歳の無職のひきこもりが刺殺事件を起こし、2人を殺害、17人(そのほとんどが女子学生)を負傷させ、経済的・社会的に疎外された人々の暴力に対する世間の不安をあおった。その1週間後、政府は雇用氷河期で取り残された人々のために最大30万人の雇用を創出する計画を立案した。しかし、この計画はほとんど実現しなかった。安倍首相のトリクルダウン経済政策は、求職者への圧力をさらに悪化させたと非難されている。

 日本の多くの人にとって、山上は、無関心な親から疎外されたロストジェネレーションの典型例であり、一部には同情する者もいる。

 だが、政策的な救済はなお見えていない。安倍氏の後継者である岸田文雄首相は昨年就任し、富の再分配、賃上げ、パートや短期労働者への給付を含む「新しい資本主義」の計画を掲げた。

 しかし、岸田氏の政権は、自民党と統一教会のつながりをめぐって守勢に立たされている。統一教会は、信者から積極的に献金を募っているとして非難されているのだ。岸田氏は、安倍首相を弔うために税金を使った国葬を行うという批判の多い決定をし、インフレと円安で内閣支持率が下がり、政策実行能力が弱まっている。岸田氏はもはや新しい資本主義に言及することはなく、代わりに経済成長を優先した安倍首相の政策に同調している。

 このように、ロストジェネレーションを再生させる方策について、公的な議論がなされていない。解決には真の変革が必要とされる。それはこの何百万人もの長く苦しんでいる人々にではなく、彼らが暮らす閉ざされた社会に、である。

 星大吾(ほしだいご):1974年生まれ、伊勢崎市中央町在住。伊勢崎第二中、足利学園(現白鳳大学足利高校)、新潟大学農学部卒業。白鳳大学法科大学院終了。2019年、翻訳家として開業。専門は契約書・学術論文。2022年、伊勢崎市の外国籍児童のための日本語教室「子ども日本語教室未来塾」代表。同年、英米児童文学研究者として論文「The Borrowers」における空間と時間 人文地理学的解説」(英語圏児童文学研究第67号)発表。問い合わせは:h044195@gmail.comへ。


【写真】地域医療連携や自立支援医療などに取り組む、群馬県立精神医療センター(伊勢崎市国定町)

米国の精神疾患約1400万人の1/3医療受けられず(自主的含む)
地元プロが翻訳 ニューヨークタイムズ社説5(2022年10月4日付)

 米国の高級紙、ニューヨークタイムズ。その社説から、日本人にとって関心が深いと思われるテーマ、米国からみた緊張高まる国際情勢の捉え方など、わかりやすい翻訳でお届けしています(電子版掲載から本サイト掲載まで多少の時間経過あり)。伊勢崎市在住の翻訳家、星大吾さんの協力を得ました。
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アメリカの精神衛生上の問題の解決策は実はすでに存在している

 統合失調症・双極性障害などの深刻な精神疾患を持つ何十万人ものアメリカ人が、著しく不安定な生活を余儀なくされている。彼らは、病気を管理するセラピストや薬物療法を監督する医師、薬物使用障害に対する科学的根拠に基づいた治療を受けられず、ホームレスシェルターや、全米最大の精神医療機関、すなわち刑務所や拘置所を転々とすることになる。あるいは、路上生活を送らざるを得ない者もいる。彼らは、精神保健システムが彼らの需要を満たすように設計されていないことの犠牲者であり、社会が彼らの苦境に無関心であることの犠牲者だ。

 健康保険が適用されないため、あるいはそもそも保険に加入していないため、あるいは待機時間が長すぎるなどの理由で、現在、適切な精神医療や心理的サポートを受けられるアメリカ人は多くはない。しかし、そのような不備が蔓延している中でも、最も深刻な精神障害者に対する社会の軽視は際立っている。最も深刻な精神疾患を抱える約1,400万人のうち、およそ3分の1が治療を受けていない。その理由は様々で、自分の意志で治療を受けない人もいるが、単に自分が望む医療や必要な医療を受けられない人があまりに多い。

 最も明白な理由は、金である。地域密着型の精神科クリニックは、深刻な精神疾患を抱えるアメリカ人の大多数に医療を提供している。これらの患者は、低所得者、障害者、公的医療扶助制度に依存などの傾向があり、公的医療扶助制度の償還率は非常に低いため、医師が提供するほぼすべての医療に対してクリニックは損失を出している。何千もの米国の地域精神医療センターを代表する非営利団体National Council for Mental Wellbeingの会長であるチャック・インゴリア氏は、「彼らは1ドルに対し60セントから70セントを得ている」と言う。「医師がロスリーダー(採算度外視の商品)であるような医療は、他にはないだろう」。その結果、公立の精神科クリニックではスタッフの欠員が30%を超え、危機に瀕している人々でさえ、待機時間が数ヶ月に及ぶこともある。

 多くの点で、唯一の救済手段となってしまっているのが刑事司法制度である。裁判所命令の患者が優先されるため、危機に瀕した患者に精神科の治療を受けさせるには、愛する人を告発することが一般的な方法となっている。また、刑務所や拘置所は、隙間から漏れてしまった人々の最終的な受け皿としての役割も担っている。これらの施設は、全米で3番目に大きな精神科施設となっており、全米の受刑者の40パーセント以上が精神障害と診断されている。

これがどんなに悲劇的であろうとも、アメリカ人は長い間、他に選択肢がないことを受け入れてきた。その無関心は無理からぬ部分もある。精神障害者のケアに関しては、アメリカの歴史はほぼ常に失敗の歴史である。しかし、この危機を打開する政策やプログラムは、実は何十年も前から存在している。

 1963年、ジョン・F・ケネディ大統領は、自身の署名による最後の法案として、「精神障害者のケアに全く新しい重点とアプローチを」という構想を打ち出した。それは、放置と虐待の巣窟となっていた全米の州立精神病院を閉鎖し、地域精神医療センターの全国ネットワークに置き換えるというものだ。このセンターは、病院とは異なり、かつて施設に収容されていた人々が、できる限り尊厳を持って、地域社会で自由に生活できるように支援し、治療するものである。

 議員や医療関係者により、その構想の前半は比較的容易に実行に移された。ケネディの法案、新しく効果的な抗精神病薬、患者の権利を求める活動の高まりなど、さまざまな力が働き、大規模精神病院の収容人数は、1950年代から1990年代の間に95パーセント減少した。しかし、ケネディの法案が法律として成立してから60年近くが経つが、保健当局や議員たちは、まだ後半の実現に至っていない。アメリカにはまだ地域精神保健システムは存在しないが、今すぐその構築に着手することは可能である。

 アメリカ精神医学会の会長を務めたスティーブン・シャーフスタイン医師は、マタパンにあるボストン州立病院のことを覚えている。そこは19世紀のきしむような建物で、彼と仲間の精神科研修医は、最も治療の困難な患者をそこに送り込むことを強いられた。

 シャーフスタイン博士は、「そこはひどい場所だった」と言う。「照明はいつも点いてないし、患者はゾンビのように歩き回っていた。誰も良くはならなかった」。

 結局、彼は住民たちと団結して、州立病院への送致を拒否した。患者をボストン中心部に戻し、地域精神保健センターで治療するよう主張したのだ。彼らの小さな抗議は、国中の州立精神病院を閉鎖し、地域ベースのケアに置き換えるという運動の高まりの一部となった。

 次のような病院もまた、ある運動から生まれたものだった。1800年代半ば、改革者のドロテア・ディクスは、何百もの保養所、刑務所、病院を訪れ、精神疾患を持つ人々の多くがひどい環境で暮らしているのを見て、これらの患者をより人道的に治療するための避難所(アシルム)を作るよう保健当局に懇願した。最初の施設は、短期間の治療目的の小規模なもので、ディクスが期待したとおりの働きをした。しかし、地方の役人が生活困窮者を州に押し付けるようになると、その施設は人間の倉庫のような存在に変わっていった。シャーフスタイン医師が仕事を始めたころには、ほとんどの施設が3,000人を超える患者を抱え、しかもそれが何年も続くこともあった。

 地域社会に根ざしたアプローチの擁護者たちは、たとえ最も病的な精神科患者であっても、自分たちの地域やその近くで暮らす価値があり、できるだけ制約の少ない環境でケアを受け、適切な治療(人道的、尊重的、科学的根拠に基づく)により、その大半は回復し、成長さえすることができると主張した。

 ケネディの法案は、これらの原則を明記するものであった。その計画では、全国に約1,500の地域精神保健センターを建設し、それぞれが地域社会教育、入院・外来施設、緊急対応、部分入院プログラムという5つの重要なサービスを提供することになっていた。最終的には、精神科の治療だけでなく、外の世界での生活も必要とする患者にとって、センターが一つの窓口となることが期待されている。

 この法律では、新しいクリニックを維持するための長期的な資金は提供されず、計画、建設、初期のスタッフ配置のための創設助成金が提供されただけであった。この助成金が切れた後は、各州が独自に資金を投入してくれると期待されていた。しかし、この考えは楽観的に過ぎた。ほとんどの州は、精神病院を閉鎖することで浮いた資金を精神医療クリニックに投資するのではなく、減税や年金の補強といった他の優先事項に費やしてしまったのだ。

 最初の助成金が切れると、それまで重篤な精神疾患を持つ人々のために特別に設計されていたプログラムは、焦点を移したとシャーフスタイン医師は言う。あるものは、生活困窮者よりも優れた健康保険に加入している患者に目を向けた。また、精神疾患以外の様々な危機に取り組もうとするものもあった。ホームレスや食糧難を緩和すれば、一見治療困難な精神疾患もほとんどなくなるという考えだ。コロンビア大学の精神科医であり、精神病と法の交差点に関する専門家であるポール・アペルバウム博士は、「社会悪に取り組むことには固有の価値があることは明らかだ」と述べている。「しかし、地域精神保健の概念は、精神科治療を軽視するまでに希薄になってしまった。」

 1980年、議会は、ケネディの当初の計画に対する連邦政府の投資を2倍以上に増やす法案を提出し、低迷していた地域精神保健活動の復活を図ろうとした。ジミー・カーター大統領はその法案に署名したが、ロナルド・レーガン大統領は翌年、この法案を廃止した。レーガン大統領は、この法案をブロック・グラント・プログラムに変更し、各州の指導者に連邦政府の精神保健資金の使い道について幅広い裁量権を与えることにした。「これは、国の地域精神保健システムにとって、多かれ少なかれ死を意味するものであった」とアペルバウム博士は言う。「その資金は、すでに効果がないとわかっていることも含めて、いろいろなことに使われてしまった。」

 結局、ケネディが構想していたセンターの半分以下しか建設されなかった。限界集落に属する人々は、州の精神科施設から流出し続けたが、意味のあるセーフティネットは見つからなかった。1990年代には、彼らは再び刑務所やホームレスシェルターに姿を現すようになった。

 今、この歴史において光を当てるべきは、すべてがどれほど悲惨な失敗に終わったかということではなく、当局がどれほど正しい方向に近づいたかということだ。ケネディ法案に記載された地域密着型モデルは、精神的な苦痛を抱える人々が地域社会に根ざした生活を送ることを可能にする。また、単一アクセスポイント型のクリニックによって、危機に瀕した家族が裁判所や裁判官を通してケアを求めるという絶望的な手段をとることを避けることができる。「地域精神保健のモデルは正しいものだった」とアペルバウム博士は言う。「今日、危機に瀕している多くの家族と話すが、彼らはどこに頼ればいいのかわからないのだ」。

 議会は、これらの過去の試みの最良の部分をまとめ、それを基にした新しい法案を書くことで、今すぐ軌道修正することができるだろう。

 連邦政府当局は、2014年にその方向に有望な一歩を踏み出した。それは、公的医療扶助制度が患者の医療に実際にかかった費用に基づいて精神科クリニックに支払うことを可能にする、新しい地域精神保健実証プロジェクトを立ち上げたことだ。「深刻な精神疾患を持つ人を支援するために、払い戻しを受けられないことが多い」と、全米精神福祉協議会のインゴグリア氏は言う。「ケースマネージャーを刑務所、刑務所、州立病院に派遣し、患者が外来診療に移行できるよう支援すること。警察と協力して、仕事中に出会った人をスクリーニングする。試験的なプログラムでは、これらの必要事項をケアのコストに組み込み、それに応じてセンターに報酬を支払っている」。

 これまでのところ、この取り組みはより持続可能で、より効果的であることが証明されている。ミズーリ州では、行動医学クリニックが新しいモデルに切り替えたことで、30%近く多くの患者にサービスを提供できるようになり、多くのクライアントに即日医療を提供できるようになった。オクラホマ州では、精神科クリニックが、特別にデザインされたアプリを含むiPadをパトカーに搭載し、「すべてのパトカーにセラピストを配置する」ことに成功したと、関係者は述べている。このプログラムにより、成人の精神科救急外来受診率が90%以上減少し、現在ではホームレスシェルターや地域社会のその他のアクセスポイントでも実施されている。

 議会はすでにこの実証的な事業を拡大し、多くの州が新しいモデルを試験的に導入しているか、導入を計画している。しかし、初期の地域精神保健運動が失敗したように、これらの新しいセンターが成功するためには、パイロットプログラム以上のものが必要であろう。個々のプロジェクトを厳密に評価し、最も効果的なものを拡大できるようにしなければならない。病院、警察、ホームレスシェルター、その他の施設は、精神衛生が孤立したり忘れられたりすることなく、より広いコミュニティの一部として完全に組み込まれるように、あらゆる段階で協力しなければならない。

 また、教育や支援活動も欠かせないだろう。深刻な精神疾患を持つ人々は、加害者よりも暴力犯罪の被害者になる可能性の方がはるかに高い。しかし、銃乱射事件や無差別殺傷事件が日常化した現代では、この事実は偏見に埋もれてしまっている。そして、真に強固なメンタルヘルスシステムは、外来診療所だけでなく、急性危機に直面した人々のための短期ケア施設や、地域社会で安全に暮らすことができない一部の人々のための集住施設など、さまざまなサービスを含まなければならない。虐待を防ぐために、これらの施設は十分な資金を提供し、十分な監視を行い、高い水準で管理する必要がある。

 星大吾(ほしだいご):1974年生まれ、伊勢崎市中央町在住。伊勢崎第二中、足利学園(現白鳳大学足利高校)、新潟大学農学部卒業。白鳳大学法科大学院終了。2019年、翻訳家として開業。専門は契約書・学術論文。2022年、伊勢崎市の外国語児童のための日本語教室「子ども日本語教室未来塾」代表。同年、英米児童文学研究者として論文「The Borrowersにおける空間と時間 人文主義地理学的解読」(英語圏児童文学研究第67号)発表。問い合わせは:h044195@gmail.comへ。

         
 伊勢崎市の副市長に4月、元総務省自治行政局公務員部福利課長で北九州市副市長も務めた藤原通孝氏が就任した。下城賢治副市長(昨年4月就任)との2人副市長体制は、2005年の市町村合併以来17年ぶり。昨年1月に就任した臂泰雄市長の肝いりの政策のひとつで、その思いを受けた両氏にインタビューした。第2回目は藤原副市長。

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 赴任してきたばかりでまだ地理もよくわからないまま、ふらりと訪れた三光町の相川考古館。丁寧な説明を受けた様々な展示物の中で、印象に残ったひとつが、国指定重要文化財の埴輪「盛装男子」だった。最近訪れた国立博物館に展示している、同じ古墳から出土した「盛装女子」を思い起こし「いつかどこかで、ご一緒になられるといいですね」と、この話題をロマンチックにまとめた。

 上植木本町の八角形倉庫で注目を集めた「上野国佐位郡正倉跡」(三軒屋遺跡)、近代産業の一角を担った伊勢崎銘仙などの織物産業にもふれ、「地域文化や(藩主が領内に設けた)寺子屋よりも高度な郷学が支えた」と指摘する。「当時は水戸藩ですら14校しかなかった。その中で伊勢崎藩内には25校もあった」と淀みなく数字を並べ、向学心に燃えた藩内の人々の存在を挙げた。

 伊勢崎市の第一印象は「住みやすく、農商工業のバランスがとれた街。それが市政全般にも現れている」。バランスの良さの中にもそれぞれに課題を抱えており、「ここに至る成熟安定期は、時にはある程度のリスクを取ってチャレンジも」と、その必要性を説く。「実際にそうした動きは出てきており、私の仕事は、それらを引っ張ったり、押したりサポートすること」と役割を明確にする。

 まだ全体像が見えず、目につくのは住宅解体跡などの空き地が散見するJR・東武伊勢崎駅南口に広がる駅前再開発・区画整理事業。他自治体にはない風景だが「施行過程の空き地は逆に可能性としてのチャンスと捉えたい」と前向きに語る。外国人の多い地域特性にもふれ、子供たちの家庭での母国語と学校・社会での熱心な日本語学習を評価。静岡県に教育次長として4年間赴任し、「人の一生に大きな影響を与える教育という仕事の奥深さを知った」と振り返る。

 学生時代から毎年、終戦記念日には東京の千鳥ヶ淵戦没者墓苑に参拝している。慰霊とともに胸に刻むのは「戦争を避けるために、自分には何ができるのか」。17年前から始めたブログにも認め、月1回のペースで、その他その時々の思いを綴っている。さまざまな赴任地では「歩くことで周囲が見えてくる」と県内でも前橋・桐生・高崎までを徒歩で散策(帰路は電車)。次は館林の片道33キロに挑む。(2022年9月1日 廣瀬昭夫)

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過去の伊勢崎市副市長インタビュー   吉田文雄氏   村井健三氏
 伊勢崎市の副市長に4月、元総務省自治行政局公務員部福利課長で、北九州市副市長も務めた藤原通孝氏が就任した。昨年4月に就任した生え抜きの下城賢治氏との2人副市長体制は、2005年の市町村合併以来17年ぶり。昨年1月に就任した臂泰雄市長の肝いりの政策のひとつで、その思いを受けた両氏にインタビューした。1回目は下城副市長。

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 「どこかに適地はないかと、市内への企業進出の引き合いが多い」と顔をほころばせる。悩ましいのは今すぐ提供できる土地がないことだ。群馬県企業局で境北部工業団地と南部工業団地周辺などで造成に向けた作業を進めており、市としては周辺環境整備など「今できること」に力を注いでいる。並行して取り組んでいるのが立地既存企業の底上げサポート。

 副市長として産業経済の他、総務、市民、環境、健康推進、農政、建設、都市計画など、日々の施策に関わる部を所管している。地域の活性化や賑わいの復活も大きな課題だが、コロナ禍がもたらした空白の2年間が「とにかくきつかった」とうなだれる。花火大会や各種のお祭りなど「新しく始めるようなもの。お囃子の指導者も見つからない」などダメージも深刻で、新たな賑わいの創出には、さまざまな協議会の設置で打開を図る。

 「そういうことだったのか、国の考え方や方向性は」。高い見識と情報の引きだしの多さに驚かされ、刺激を受けたのは藤原通孝副市長の日々の市政への取り組み。それぞれに担当所管はあるが、垣根を超えた「情報の共有化」の重要性を痛感し、臂市長が掲げる「Transforming Our World」(私たちの世界を変革する)に向けてタッグを組む。一人副市長の重圧から解放されたことに対しては「頼り切ってはいけない」と自戒する。

 行政側にとっては、まさかの中止に追い込まれた、波志江沼への新観覧車建設問題。その最中は秘書課係長としてマスコミ対応に忙殺された。市政が大きく揺れた過去にふれた時は複雑な表情をみせた。胸を張ったのはコロナ対策。12歳未満は当時、対象外でワクチン接種できなかったため、PCR検査キットを幼稚園、保育園、小学校などに配った。接種現場には職員も派遣している。

 40年ほど前に市職員のバレーボールチームで全国大会に出場した。高じて子供のミニバレーチームでは、指導者として多くの時間を割いた。最近とりわけ気になっているのが”激太り”。コロナ禍で家飲みも増え"休肝日"を求められている。対策のひとつが家庭用自転車マシンの導入。総務部長時代に片道2キロの自転車通勤実績もあり「30分程度、ほぼ毎日こぐようにしている」と、その効果に期待をかける。(2022年8月24日 廣瀬昭夫)

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過去の伊勢崎市副市長インタビュー   吉田文雄氏   村井健三氏
【写真】国内の7月9日の朝刊各紙一面トップ見出しは「安倍元首相撃たれ死亡」で横並び。写真は毎日新聞の狙撃直後の様子が生々しく痛々しい

安倍晋三元首相についての2論説-2
地元プロが翻訳 ニューヨークタイムズ社説4-2(22年7月20日付)

 米国の高級紙、ニューヨークタイムズ。その社説から、日本人にとって関心が深いと思われるテーマ、米国からみた緊張高まる国際情勢の捉え方など、わかりやすい翻訳でお届けしています(電子版掲載から本サイト掲載まで多少の時間経過あり)。伊勢崎市在住の翻訳家、星大吾さんの協力を得ました。
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安倍晋三による日本再興の失敗/ゲストエッセイ/中野晃一(上智大学教授)

 東京より。7月8日に安倍晋三元首相が狙撃され、その衝撃からやっと立ち直りつつある日本では、平和主義的な憲法改正など安倍氏による日本の再軍国主義化の構想が、その死後も継続されるかに関心が集まっている。

 日本で最も長く首相を務めた安倍氏は、国内では圧倒的な存在感を示し、海外でも影響力のある政治家であった。彼は、よりグローバルに展開する日本を提唱し、米国、オーストラリア、インド、日本の4カ国同盟を推進し、インド太平洋地域構想そのものに着手したと評価されることもある。

 また、攻撃的な軍事力の保持を禁じる戦後憲法の改正(これは果たされることはなかった)を中心に、より軍事的に強固な日本を構想していた。このような構想を実現するため、支持者たちは、強大化する中国への恐怖を駆り立てた。

 しかし、日本はそろそろ安倍氏だけでなく、彼の国家主義的な再軍備政策にも別れを告げるべき時が来ている。日本の政治的・経済的資源は、憲法改正や防衛費増額ではなく、外交による平和の維持と、長年にわたる安倍氏のトリクルダウン(富裕層支援)政策によって揺らいだ経済の回復に集中すべきである。

 さらに言えば、米国が中国との対決に重点を置いている今、日本は謙虚に、そして平和主義的に、中国と米国の間の緊張を緩和するため、北京と再び関係を結ぶことによって重要な役割を果たすことができるのである。

 安倍氏は、2日後に迫った国会議員選挙のために自民党を代表しての選挙活動の最中に撃たれた。その死後には、単純化された賛美の言葉によっては正当化することのできない、いまなお議論があり波瀾に満ちた「遺産」が残されている。

 国内では、安倍氏は反対者を黙らせる傲慢な弾圧者と見られていた。憲法、国会、メディアのチェック・アンド・バランスは彼の在任中には機能せず、政治スキャンダルをめぐって国会で118回もの虚偽陳述をしたことは有名である。

 その歴史修正主義は、韓国や中国など戦時中の日本の残忍な侵略行為に対する怒りがいまだにくすぶっている近隣諸国から不必要に怒りを買った。2013年12月には、第二次世界大戦時の戦犯を含む日本人の戦没者を祀る靖国神社に参拝し、米国から異例の非難を浴びている。彼はまた、日本軍の慰安婦として何千人もの女性をアジアに強制連行したことを含め、日本の第二次世界大戦の蛮行を隠蔽する学校教科書を支持している。

 しかし、安倍氏の経歴において、何よりも日本の国柄とアジア地域における役割を変えてしまいかねないものであったのは国際紛争解決の手段としての戦争を放棄し、日本の軍隊を自衛的役割に限定する憲法9条の改正への取り組みであった。1945年以来、日本が戦争に直接関与せず、経済大国への道に集中できるようにした平和への公約を捨てる理由がないと考える何百万人もの日本人は不安を感じた。

 安倍氏は2006年から2007年、2012年から2020年の2度にわたって政権を担当したが、憲法を変えることはできなかった。その代わり、一定の条件下で同盟国を軍事的に支援することを認める解釈変更に落ち着いたが、これは違憲との批判を受けている。

 自民党の右派が無党派の旗手を失った今、日本が9条を見直すことはないだろう。軍政によって戦争に突入し、アジアに甚大な被害をもたらし、完敗し、唯一の核被爆国となったこの国には、平和への強い思いがある。

 NHKが6月下旬に行った世論調査では、選挙の優先順位で憲法改正を挙げた人はわずか5%で、43%が経済を挙げた。5月の世論調査では、9条改正への世論は賛成50%、反対48%と割れており、70%が改正の機運は高まらないと答えている。

 長きに渡り優勢だった自民党および連立与党は、憲法改正のための国民投票を開始するために必要な3分の2の多数を、参議院で確保した。しかし、これは安倍氏が殺害される前から予想されていたことであり、連立与党の勝利は安倍元首相支持というより、野党内の分裂によるものであった。安倍氏自身でさえ、政権を担当した数年間は3分の2の多数を占めていたにもかかわらず、政治的リスクを理由に国民投票をあえて推し進めようとはしなかった。

 岸田文雄首相に注目が集まっているが、憲法改正に反対してきた自民党の穏健派の代表である岸田氏に国民は何を期待すべきか分からない。これは安倍氏の存在がいかに煙たいものだったか(安倍氏は党の指導者の間で公然と異議を唱えることを禁じていた)を物語っている。選挙後、岸田首相は防衛費の増額を約束し、憲法9条に再び注目することを約束したが、それが亡くなった安倍氏への礼儀以上のものであると考える根拠は乏しい。

 いずれにせよ、岸田首相の手腕が強化されることは間違いない。安倍氏は明確な右派の後継者を残しておらず、彼の死は派閥を混乱させ、岸田首相が国家的な議題に対してより大きな支配力を主張する機会を与えることになる。

 これには、20年にわたる経済停滞を脱却するため安倍元首相が第2次政権で打ち出した財政・金融緩和政策「アベノミクス」による急激な政府支出や規制緩和から脱却するための支持を得ることも含まれる。企業収益は上がったが、公的債務は積み上がり、大胆な構造改革は行われず、賃金は低迷したままだった。そこにパンデミック(世界的大流行)が起きた。円安、インフレ、そしてコロナウイルス感染である。

 岸田首相は、賃上げと貧富の差の是正を最優先するよう主張している。そのためには社会保障費を増やす必要があり、安倍氏が求めた今後5年間の防衛費倍増と衝突するのは必至である。安全保障よりも経済が国民の関心事である以上、岸田首相には9条改正のために貴重な政治資金を浪費する余裕はないだろう。

 対中政策については、岸田首相は安倍政権の外相時代には自らの外交ビジョンをほとんど明らかにしていないが、岸田派は伝統的に中国と関わってきたため、今後は北京との対話を重視した政策を進めることが可能と考えられる。

 安倍氏の悲劇的な死は、後継者たちが安倍氏の影響かから抜け出し、その政策を見直す機会となった。

 9条の保障を撤廃し、日本を再軍国主義化することは、中国との緊張をさらに高め、日本とアジア地域に壊滅的な影響を与えかねない軍拡競争を招くだけである。逆に、平和への公約を再確認すれば、国内資源を経済に集中させることができ、外交による平和を基礎にした近隣諸国とのより良好な関係への扉が開かれる。

 今こそ、安倍氏の遺した「剣」を暮らしのための「鋤」へと打ち直す時である。

 星大吾(ほしだいご):1974年生まれ、伊勢崎市中央町在住。伊勢崎第二中、足利学園(現白鳳大学足利高校)、新潟大学農学部卒業。白鳳大学法科大学院終了。2019年、翻訳家として開業。専門は契約書・学術論文。2022年、伊勢崎市の外国籍児童のための日本語教室「子ども日本語教室未来塾」代表。同年、英米児童文学研究者として論文「The Borrowers」における空間と時間 人文主義地理学的解読」(英語圏児童文学研究第67号)発表。問い合わせは:h044195@gmail.comへ。
        
【写真】凶弾に倒れた安倍晋三元首相

安倍晋三元首相についての2論説-1
地元プロが翻訳 ニューヨークタイムズ社説4-1(22年7月9日付)

 米国の高級紙、ニューヨークタイムズ。その社説から、日本人にとって関心が深いと思われるテーマ、米国からみた緊張高まる国際情勢の捉え方など、わかりやすい翻訳でお届けしています(電子版掲載から本サイト掲載まで多少の時間経過あり)。伊勢崎市在住の翻訳家、星大吾さんの協力を得ました。
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「安倍晋三による戦後日本の再建」/ゲストエッセイ/トバイアス・ハリス(著書に『The Iconoclast:Shinzo Abe and the New Japan』)

 2007年1月、安倍晋三は第166回国会開会式後、戦後最年少となる52歳で首相に就任してわずか数カ月で、自らの政策をまとめた演説を行った。

 演説の大半は、ありふれた政策を並べたものにすぎなかった。しかし、その中に、安倍晋三という人物の人となりがよくわかる一節があった。「私の使命は、今後50年、100年の荒波に耐える新しい国家像を描くことにほかなりません」。

 私は、安倍元首相についての著作を執筆中も、そして金曜日に起きた暗殺について考えるときも、たびたびにこの台詞に立ち返っていた。彼は小さな考えに満足するような政治家ではなかった。彼の家族は西日本の山口県出身である。1867年、天皇が復権し、倒幕派が近代国家を建設した明治維新。山口県はその立役者たちの故郷である。彼は、それらの指導者たちを尊敬していた。

 明治日本の指導者たちが築こうとしていたのは、単なる近代国家というだけではない。アジアを蹂躙する欧米列強に対抗できる国家を作ろうとしたのである。安倍元首相が「荒波に耐える国づくり」と言ったように、その基本的な感覚を彼も共有していた。

 安倍元首相は国益主義者であり、自国が国家間の激しい競争にさらされていると考え、政治家の使命は何よりもまず国民の安全と繁栄を確保することだと信じていた。しかし、彼は同時に国家主義者でもあった。つまり、その義務を果たすのは、最終的には国家とその指導者の責任であると考えたのである。したがって、安倍元首相が理想主義者か現実主義者かという議論は的外れである。彼は、世界の危険な状況の中で日本国民を守るために、日本国家を強化しようとする政策を繰り返し行ってきた。

 例えば、安倍元首相や他の保守的な政治家たちが、日本版愛国心教育を学校に導入し、彼が「自虐史観」と考える戦時中の残虐行為を論じた歴史を教える教科書を選択排除したことなど、一見イデオロギー的に見える決定も、根本的には国家の強化につながるものだった(教科書の選択排除がその目的を達成するかどうかは別として)。彼を批判する者たちは、これにより日本の平和維持を支えていると信じられていた教科書の中核的な思想が弱められることを懸念した。しかし彼は、強い国家には、自国に誇りを持ち、必要なら武器を取ってでも国のために犠牲を払う国民を育てることが必要だと考えていた。

 安倍元首相の国家主義は、他の分野でもわかりやすい。「戦後レジームからの脱却」、すなわちアメリカの占領下およびその直後に導入された制度の自律的撤廃というスローガンを第一次内閣の時に使い、第二次内閣の時もこのスローガンは彼の政策構想を特徴づけるものであった。特に戦後憲法とその第9条(戦争放棄の平和条項)は、日本の自衛能力を制約していると考えた。

 2期目には、憲法9条を解釈変更し、集団的自衛権の行使を認めるよう政府に指示し、一定の場合には同盟国の軍隊を支援することができるようにした。その後、9条を含む憲法改正を提案し、2020年までに批准すると公約したが、失敗に終わった。

 このように、安倍元首相は過去を反省する国ではなく、米国や他の同盟国のような強固な国家安全保障体制を備えたトップダウン型の政府を作りたかったのであろう。北朝鮮が核武装し、中国が経済力とともに軍備を増強していく中で、この構想はさらに急務となった。彼は北京と政治的・経済的に安定した関係を維持することに否定的ではなかったが、中国が日本の安全保障にもたらす危険性について決して目をつぶることはなかった。

 アベノミクスと呼ばれる金融、財政、産業政策の三本柱でハイテク産業や持続可能な労働力を育成する政策も、安倍元首相の国家主義を反映している。彼は遅ればせながら、日本が他国と競争するためには、長期的な経済停滞を終わらせる必要があると考えるようになったのだ。

 日本国家を強化するという安倍元首相の構想は万人受けするものではなかった。国家、特に安全保障体制を強化するという彼の熱意は、しばしば大きな反発を招いた。年配の日本人は、戦時中の日本の姿が脳裏に刻まれており、日本の軍事力の再構築に抵抗があり、若い日本人も時には動員され、彼の動きに反対した。

 しかし、安倍元首相が亡くなったとき、日本人はようやく彼の構想に賛同するようになったのではないだろうか。ロシアのウクライナ戦争もあり、軍事費増額支持の声が強まった。

 自称リベラル派の岸田文雄首相までが、自衛隊の戦力強化のための軍事費増額に賛成している。これは、安倍元首相の30年のキャリアにおいて、自民党がいかに彼の構想に共感していたかを示している。

 安倍元首相の判断は必ずしも常に適切ではなく、その行動は権威主義的な面もあったが、21世紀の「荒波に耐える」ための政策をより明確に打ち出し、実行できる国家を日本に残したと私は考えている。

 時に孤独な戦いを続けた安倍元首相は、世界の危険な状況の中で自国を守れる強い国家というビジョンを日本人が理解し始めた矢先に突然の死を迎えることとなった。



 星大吾(ほしだいご):1974年生まれ、伊勢崎市中央町在住。伊勢崎第二中、足利学園(現白鳳大学足利高校)、新潟大学農学部卒業。白鳳大学法科大学院終了。2019年、翻訳家として開業。専門は契約書・学術論文。2022年、伊勢崎市の外国籍児童のための日本語教室「子ども日本語教室未来塾」代表。同年、英米児童文学研究者として論文「The Borrowers」における空間と時間 人文主義地理学的解読」(英語圏児童文学研究第67号)発表。問い合わせは:h044195@gmail.comへ。
             

【写真】ロヒギャン難民特別支援を行っているアース・カンパニーHPより

地元プロが翻訳 ニューヨークタイムズ社説3
「ミャンマーの民主化運動家」(2022年6月23日付)

 米国の高級紙、ニューヨークタイムズ。その社説から、日本人にとって関心が深いと思われるテーマ、米国からみた緊張高まる国際情勢の捉え方など、わかりやすい翻訳でお届けしています(電子版掲載から本サイト掲載まで多少の時間経過あり)。地元の翻訳家、星大吾さんの協力を得ました。第3回目はミャンマー少数民族ロヒンギャの国内最大コミュニティー「在日ビルマロヒンギャ協会」が、群馬県館林市内にあることなどもあり、取り上げました。
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 我が国ミャンマーにもロシアに対するように天然ガスへの制裁措置を(2022年6月23日 ニューヨークタイムズ ゲストエッセイ)

ティンザール・シュンレイ・イー(ミャンマーの民主化運動家)

 ミャンマーの近代史は、植民地支配、軍事的抑圧、暴力、民主主義の否定の歴史である。私のような草の根の活動家、そして先達である何千もの活動家は、これを変えるために命を捧げ、身の安全を犠牲にしてきた。しかし、この1年で、事態はより深刻となっている。

 数十年に渡りミャンマーを支配してきた残忍で腐敗した軍部は、2021年2月に選挙で選ばれた指導者を打倒し、以降抗議する者を銃殺し、反対する者を拷問し、ミャンマーを混沌に陥れた。

 米国は当然のことながら、軍部を非難し、制裁措置を講じている。しかし、米国は、国民を弾圧する軍事指導者を弱体化させるための単純な措置、すなわちミャンマーのガス収入に制裁を加えることは控えている。

 ミャンマー石油ガス公社(MOGE)は、現在政府の管理下にあり、海底油田から採取した天然ガスの販売により、少なくとも年間15億ドルの収入を得ていると推定されている。このガスは、軍が罪のない市民に向ける銃弾や軍事費としての交換可能通貨の約半分を供給している。制裁を行い、長きに渡りミャンマー国民への弾圧を支えてきた重要な収入源を断ち切ることで、人々の命を救うことができる。

ミャンマーは1948年にイギリスの植民地支配から独立したが、1962年にタトマダーと呼ばれる軍事政権が権力を掌握した。それ以来、将軍とその取り巻きがミャンマーを支配し、鉱物、木材、エネルギーなどの天然資源から利益を得ながら、アジアの他の何百万もの人々が恩恵を受けている経済成長を自国民から奪うという自虐的な政策をとってきた。公衆衛生は悪化し、汚職、麻薬取引、その他の犯罪が横行している。少数民族は数十年にわたりタトマダーによる人権侵害を受け、民族組織は絶え間ない内戦状態の中で抵抗のために銃を手にした。ミャンマーの新しい世代は、もはやこうした状況には耐えられないだろう。

私たちは、2015年の選挙で国民が声を揃え民主化を支持したことで、ミャンマーの民主化移行が真の意味で飛躍することを期待していた。ちょうどインターネットが一般人にも手が届くようになり、私たちは外の世界を意識するようになり、世界の民主化運動とつながりをもつことができるようになった。

 その後数年の間に、私たちは多くの少数民族の処遇についても知るようになった。ミャンマー軍は2015年の選挙後、ロヒンギャ族に対する大量虐殺の罪で告発された。私たちが投票したアウンサンスーチー女史率いる文民政権がこれらの惨状を擁護したことに、私たちは大いに失望した。軍は実質的な権限を保持していたが、私たちを檻に戻すことは難しかった。そして、昨年のクーデターである。

 ミン・アウン・ハリン上級大将が主導し、民主派が選挙で圧勝した後にそれは起こった。市民による非暴力の抗議運動に対して、無差別殺戮、拷問、強制失踪、人間の盾としての利用など、恐るべき弾圧が行われた。国連によると、少なくとも142人の子供を含む1900人以上が殺害され、13,500人以上が政権への反抗を理由に逮捕された。

人口5400万人の我が国は今、奈落へと落ちつつある。100万人が国内避難民となり、推定1400万人が緊急に人道的援助を必要としている。国家機関やすでに弱体化している医療制度は崩壊の危機に瀕している。私たちは国中で抵抗している。何万人もの人々がジャングルで武装し、少数民族の抵抗組織の支援に頼っており、その結果、タトマドーの空爆や砲撃に曝されている。しかし、欧米からの支援はごく限られたものである。

 バイデン政権はミャンマー政府の資金10億ドルを凍結し、ミャンマーの軍事指導者たちの大部分と、彼らの資産となっている宝石、木材、真珠産業に対して制裁を課した。しかし、MOGEと合弁事業を行っているシェブロンがロビー活動を行う中、バイデン大統領はガス収入をターゲットにすることを控えた。

 それさえ可能ならば、政権財政に大きな打撃を与えることができる。MOGEの事業は、国家にとって唯一にして最大の収入源である。その多くは、シェブロンとフランスのトータルエナジーズがMOGEやタイのエネルギー企業とともに運営している主要なガス田から得られている。シェブロンとトータルエナジーズの両社は、天然ガスはミャンマーの電力の一部を賄っているため、制裁が行われればミャンマー国民は深刻な停電に見舞われると主張している。しかし、制裁によってガスを止める必要はないし、自由と安全を数時間の電気と引き替えにしろという提案には強い憤りを覚える。MOGEへの制裁を求める声は、海外からのものではない。ミャンマー国内から、軍への平和的抵抗に参加した何百もの市民社会組織、活動家グループ、労働組合らが声をあげているのだ。

 今年、トータルエナジーズとシェブロンはミャンマーから撤退する計画を発表した。しかし、政権が引き続きMOGEを通じてガス収入を得続けることは可能であろう。

 EUはMOGEに制裁を課したが、そこには穴があり、悪用の可能性がある。ロシアのウクライナに対する戦争能力を制限するために採用されたような、米国主導の実効性のある制裁が必要だ。

 数十年にわたる軍の支配と悪政によってミャンマーに蓄積された問題のすべてを解決することは不可能であろう。しかし、まずはタトマダーが飛行機や爆弾、弾丸、ジェット燃料、監視装置などの弾圧の手段を輸入できないようにすることから始めなければならない。私たちは、軍事的支配から解放され、平和と繁栄と、民族を問わずミャンマーのすべての人々のための真に民主的な未来を望んでいる。

 ガス収入がある限り、ミャンマーの人々の血は流れ続ける。

星大吾(ほしだいご):1974年生まれ、伊勢崎市中央町在住。伊勢崎第二中、足利学園(現白鳳大学足利高校)、新潟大学農学部卒業。白鳳大学法科大学院終了。2019年、翻訳家として開業。専門は契約書・学術論文。2022年、伊勢崎市の外国籍児童のための日本語教室「子ども日本語教室未来塾」代表。同年、英米児童文学研究者として論文「The Borrowers」における空間と時間 人文主義地理学的解読」(英語圏児童文学研究第67号)発表。問い合わせは:h044195@gmail.comへ。
              
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